イスラム教の女性たちは布で肌や頭を隠していますが、なぜですか?
なぜスカーフを着用しなければならないのですか?
これは抑圧や女性差別ではないでしょうか?
そんな疑問にお答えします。
記事を書いている私は、20年以上イスラム社会で女性達と生活をともにし、イスラム入門書である『イスラム流幸せな生き方』など多数の本を出版しています。
この記事では、隠す根拠としてのコーランの章句、女性が髪や肌を隠す本当の理由について、わかりやすく解説します。
目次
イスラム教徒女性が髪や肌を隠す理由:コーランの章句
①美しい部分を隠す
コーランでは、女性たちに「美しい部分を隠せ」と命じています。
「それから女の信仰者にも言っておやり、慎みぶかく目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には覆いをかぶせるよう」
(24章31節)
この後に、見せても良い相手として「自分の夫や親」などが記されています。
そのために美しい部分(性的部位など)を隠します。
②長衣を着ること
またコーランでは女性たちに長衣を着るよう命じています。
「これ、預言者、お前の妻たちにも、娘たちにも、また一般信徒の女たちにも、(人前に出る時は)必ず長衣で(頭から足まで)すっぽり体を包みこんで行くよう申しつけよ。」
(33章59節)
①、②から「肌やボディラインを見せない」のが女性の服装の基本となります。
髪を隠すのは義務?
①の「美しい部分を隠せ」ですが、具体的にどこを隠すべきかが示されていません。
そこで「髪を隠すべきか否か」で学者間の意見が分かれましたが、多くの学者は「髪を隠すべき」と考えます。
ただ隠さなくて良いと考える学者もいます。
しかし多くのイスラム女性たちは、髪を隠すことが正しい振る舞いだと信じています。
(顔を隠すべきか否か?は→イスラム教女性の服装ルール完全版【Q&A】)
なぜ隠すよう命じたのか?
ではなぜコーランは女性に「美しい部分を隠せ」と命じたのでしょう?
これはイスラムの人間観・男女観から来ています。
これがイスラムが考える人間観・男女観です。
①については、そもそも生物学的に男女は違うものです。
「女性は男性より美しい」は異論があるかもしれませんが、性犯罪の被害者は圧倒的に女性で、逆はないことを考えると、あながち間違いとは言えないでしょう。
そこで男性が誘惑に負けて悪い行動をとらないよう、女性に美しい部分を隠すように命じたのです。
誤解されがちですが、女性だけでなく男性にも、守るべき服装規定や貞節義務があります。
服装については、へそから膝までを隠すことが義務付けられています。
男女で隠すべき場所が違うのは、身体の構造が違うからです。
また男性にも貞節さが求められています。
「男の信仰者にも言っておやり、慎みぶかく目を下げて(女をじろじろ眺めない)、陰部は大事に守って置くよう(不倫な関係に使わぬよう)」(コーラン24章30節)
なぜここまで男女関係に厳しくするかというと、先に書いたように①男女は違う(女性の男性より美しい)②人間は弱い(男性は性的魅力に弱い)という人間観に立つからです。
何かあってから厳罰を処すより、その元を絶ってしまった方が社会秩序が保つには良いという考えだからです。
もちろん女性たちは家では日本の女性と変わらずおしゃれを楽しんでいます。
性的魅力は夫婦の間だけで発揮し、楽しめばよいという考えなのです。
夫婦以外の異性の前では美しい部分を隠していた方が、男性は変な誘惑に惑わされず、女性も性的被害を減らすことができ、男女共に心穏やかに暮らすことができる。
そして社会秩序が保たれる。こういう発想なのです。
(参考:黒いアバヤの下に着ているものは?)
髪と肌を隠す「本当の」理由
では女性達たちは宗教のルールに従い、しかたなく肌や髪を隠しているのでしょうか?
厳密に言えば髪を隠すことは義務ではありません。
にもかかわらず、実際には多くの女性が髪を隠しています。
なぜ隠すのでしょう?
その「本音」をご紹介します。
第1の理由は宗教心
ヒジャブで髪を隠している女性に理由をたずねると、「イスラム教徒だから」「それがムスリマ(イスラム女性)としての正しい行いだから」という答えが返ってきます。
このように多くの女性が、髪を隠すのが「宗教的に正しい行い」だと信じています。
「女性は宝石」ーヒジャブの根底にあるもの
では、「信者の義務として」しかたなくヒジャブなどを着用するのでしょうか?
多くの女性は言います。
「紙で包んであるアメとそうでないアメがあったら、人はどっちを食べる? 包んである方でしょう。
むき出しのアメはハエがたかっているかもしれないし、汚い手で触ったかもしれない。
スカーフもそれと同じ。女性の髪が美しい・高貴なものだから包む。包むからますます価値が上がり、尊ばれることになるのよ」
大切な人へのプレゼントは、きれいな包装紙で包みます。
女性もそれと同じです。宝石のように高貴で美しい存在だからこそ、美しい部分は隠します。
自分の美しさは大事な人にこそ見せるものであり、不特定多数の男を楽しませるものではありません。
その根底には、「女性は美しいもの」「大切にされるべき存在」という自己肯定感、そして「女性としての自分を大切にする」という思想があります。
「きちんとした女性」と見てもらえる
さらに宗教のルールに沿った服装をすることで、「品行正しい女性」「モラルがある人」と周囲に見てもらえます。
サラリーマンの背広とネクタイのようなものとも言えます。
これによって公共の場での扱われ方も違ってきます。レディとして扱ってもらえるのです。
結婚しやすくなる
ヒジャブなどを着用することで敬虔さをアピールでき、結婚相手を見つけやすくなります。
男性は結婚相手にちゃんとした女性を望むものですが、イスラム教徒の場合、それはつまり「敬虔な」女性です。
実際私が会った男性の中には、妻に対して「彼女はちゃんと礼拝するって聞いたから結婚したんだ」と話す人もいました。
「信心深い女性なら、間違いを起こさないから(不倫など)」とも言います。
私のエジプトの友人は、ふだんはヒップラインが見えるGパンを好んではいていましたが、結婚を意識し始めた頃から黒いアバヤ(ガウン)を着るようになりました。
性的嫌がらせが減る
美しい部分を隠すことで、男性のわずらわしい視線をカットでき、性的嫌がらせを受けにくくなります。
「ハチミツにふたしないで晒しておいたら、ハエがよってくるでしょう?
それは当たり前よ。いちいち苛立つより、最初から隠してしまった方が賢いわ」
というのが彼女たちの考え方です。
心や才能で男性を魅了できる
ヒジャブで美しさを隠すことで、美ではなく「心や才能で」男性を魅了することができると考える女性もいます。
「アッラーと私とスカーフと」という日本人女性が監督したドキュメンタリー映画があります。
主人公はカナダに暮らす4人のイスラム女性達です。
彼女達は「スカーフをするか否か」で悩み、家族や周囲の人との関わりの中で、それぞれの道を見つけていきます。
「スカーフをする」と決心した主人公の1人は、そのメリットについてこう語ります。
「美ではなく「心や才能で」男性を魅了することができる」。
そして心で男性をひきつけた方が良いと語ります。
「なぜなら容姿は年をとるにつれて衰えるけれど、心や才能はそうではないから」。
「見られる者」から「見る者」への昇格
また別の主人公は「スカーフをすることで、誰が私を見るかを決めることができる」と言います。
美しい部分を晒した女性は、本来見られる側の存在です。
隠す事で、見せたい相手にだけ美しさを見せることができる。
見せる相手と見せたくない相手を自分で選ぶことができるのです。
これは女性が優位に立ち、女性が力を得ることだと彼女は考えます。
社会進出が容易に
ヒジャブをすることで社会進出が容易になるという面もあります。
イスラム社会では男女の不必要な接触を禁じるために男女隔離が原則です。
ヒジャブを着用して「美の象徴」である髪を隠すことで、それが「見えないカーテン」の役割を果たし、社会進出が容易になるのです。
「ベールは「携帯用のカーテン」であり、これを身に着けることで、女性の社会進出を促進される。」
(「イスラームとモダニティ」)
外見で差別されない自由を得る
肌や髪を隠すことで、美醜や年齢で差別されない自由と開放感を得ることができます。
肌を見せず、ボディラインを強調しないのがイスラム女性の理想的な服装だと書きましたが、このようなゆったりした服装あんらば、「足が太い」「ウェストのくびれがない」といった身体的コンプレックスを隠すことができます。
(だから油断して太ってしまう、という女性はいるようですが)
サウジアラビア女性が身につけているアバヤとニカブが最たるものです。これなら年齢でさえも隠してくれます。
さいごに
「モテる」のは夫だけでいい
「でも内心は彼女たちだって、思いっきり肌を見せたりしておしゃれしたいんじゃない?」
そう思う方もいるでしょう。
不特定多数の男性にチヤホヤされるのは、イスラム教徒の女性にとって、あまり嬉しいことではありません。
自分を「妻」と認め、大切にしてくれる男性だけにモテればいい。
美しさは人生を共に歩んでくれる男性にだけに見せるもの。
不特定多数の男性にタダで見せるものではありません。
それはかえって不要なトラブルのもとになる。
必要以上に「モテ」るために頑張らないことで、気持ちに余裕が生まれるのです。
ヴェールを脱がせる楽しみ
髪や肌を隠すことで、よりいっそう自分の価値が増すことを、女性達はよく理解しています。
隠すことで神秘性が増し、より魅力的に見える、ということです。
「オマーンの街角で日本人男性と一緒に歩いていた時、チャドルの女性とすれ違うたびに、「隠しているのを見ると、よけい綺麗に見えますよね(笑)」と鼻の下をのばしていた。
何事もあからさまに見せない方が美しい。イスラム圏にいると、そんなことを思ったりする。」
隠されているから、よけい見たくなる。それが人間の心理です。
見たいのに見れない。だからいっそう興味をそそられる。
男性は神秘のベールに包まれた女性の布を一枚一枚はいでいくことに、ワクワクする興奮を覚えるものです。
男性は基本的にハンターです。
教会の結婚式では、きまって新郎が新婦のヴェールを持ち上げます。
なぜヴェールをかぶるのが女性なのか?
ヴェールを脱がせるのが男性なのか?
それが「男女の本性」に沿っているからです。
逆に女性が自分から何もかも脱ぎ捨て、「どこからでも見て!」となったら、男性から「ベールを脱がす楽しみ」を奪ってしまいます。
ヴェールは女性が自ら脱いではいけない。男性の手で脱がせてこそ意味があるのです。
女性の美しさは、あからさまに見せないことで価値が増す。
そして本当に女性として尊ばれるのは、「隠す美しさ」を知っている女性なのです。
イスラム女性の服装にご興味ある方の参考になれば嬉しいです。
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【参考図書】
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女性隔離、ヴェール‥女性差別と思われがちなこれらの制度の成り立ちを、歴史をひもときながら、わかりやすく解説した古典的名著です。
ニカブ等の着用は女性差別の象徴だと考えていた私には盲点な内容でした。なるほど、、自分自身を守り内面を磨くという意志の表れでもあるのですね。素晴らしいと感じました。
男が煩わしく、いつからか化粧やオシャレをしなくなった私にも強く共感できる理由ですね。
ただ、男は本能を抑えられない野蛮な生き物であるという前提の元で話が進んでおりますが、ならばなぜ女性側が不便を強いられなければならないのでしょう。。
それなら痴漢やセクハラをした男を死刑に処すなり厳罰化したり、外科的処置を施し性欲を無くさせるべきではないでしょうか?
やはりこの記事を読んだあとでもイスラム教は差別的な忌むべきカルトだと言わざるをえません。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通りです。
これには説明が長くなるので、別トピックを設けて書きました。
https://www.f-tsunemi.com/blog/realislam/dress-rule/
よろしければ、お読みください。
また何かご意見、ご質問などありましたら、コメントいただけたら嬉しいです。