聖書とコーラン|違いと共通点コーラン
コーランと聖書は何が違って何が同じなですか?コーランには聖書の話が出てくるって本当?
そんな疑問にわかりやすくお答えします。
イスラム教では聖書も啓典として認めています。そしてコーランには聖書のストーリーがたくさん出てきます。有名なところでは、あのアダムとイブの話、モーセの出エジプトなどです。
だから聖書のストーリーを知ることで、コーランが理解しやすくなります。とはいっても聖書を1から全て読むのはとても大変です。
ここではかいつまんでコーラン出てくる聖書のストーリーをご紹介し、聖書とコーラン、キリスト教とイスラム教の違いを、わかりやすく解説します。
(*コーランについては、コーラン/啓典をお読みください。)
キリスト教のポイント
イエス・キリストとは?
キリストとは「救い主」という意味です。つまり「イエス・キリスト」=「救い主イエス」。キリスト教では、イエス・キリストを「唯一の救い主」であり、「神」とします。
キリスト教の教えとは?
大切なポイントは「三位一体」と「イエスの復活」です。
①三位一体
これは「神は1つで、その神が父、子、聖霊の3つのあり方をする」概念です。
つまりキリスト教とは、「父なる神、その子イエス、聖霊を自分たちの神として生きる教え」です。
イエスは神であるとともに「神の子」。神でありながら人間なのです。
②「復活」
イエス様は私たちのために十字架にかけられて死に、そのあと復活した。これも大切なポイントです。
イスラムとキリスト教の相違点
イスラムがゆずれないのは①の部分です。イスラムの大原則は「神は唯一」「預言者は人間」です。
そこで「神は1であり、3なんておかしい!」「神に子がいるはずない!」「イエスは人間だ。神だなんてトンデモナイ!」とコーランでたびたび主張しています。
(参考:キリスト教とイスラムの違いと共通点)
聖書とは?
キリスト教の聖典。クリスチャンが人生の指針とするべき歴史書です。
聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」があり、カトリックもプロテスタントも両方を正典とします。
全部で3つのパートに分けられます。
①「旧約聖書」=イエス・キリスト以前のこと。
②「新約聖書」前半(福音書)=イエス・キリストの言動。
(「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の4つでこれが「福音書」)
③「新約聖書」後半=イエス・キリスト後のこと。
コーランに出てくる聖書のストーリー
コーランには聖書のストーリー(ほとんどは旧約聖書)がたくさん出てきます。
ここではかいつまんで、あらすじをご紹介します。
アダムとイブの楽園追放
聖書では神が天地をつくり、動植物をつくり、最初の人間アダムをつくりました。
そして神は「人が1人じゃ寂しいだろう」と、アダムのあばら骨からイブをつくりました。
2人は仲良く天国の楽園「エデンの園」に暮らしていました。
しかし神に食べるのを禁じられた禁断の実を、悪魔の化身である蛇にそそのかされて食べてしまいます。
それが神様に見つかり、エデンの園から追放されてしまいます。
彼らが楽園で犯した罪は「原罪」とされ、そしてアダムには労働の義務を、イブには出産の義務を課した、これが聖書のストーリーです。
コーランは少し違っています。
楽園で2人が犯した罪は、地上に降ろされる際、神に許されたことになっています。
だからイスラムでは原罪意識はありません。
またイブがアダムのあばら骨からつくられた、が聖書のストーリーですが、コーランには「何からつくられたか」は書かれていません。
ノアの方舟
アダムとイブの何代かの後、人間が多くなりました。
中には罪を犯す人も出てきます。これに神様は怒ってしまいました。
そして地上のあらゆるものを洪水で流し去ってしまうことにしたのです。
ただ、まじめな人間ノアだけは助けてやることにしました。
神はノアに言いました。「方舟に君の家族とあらゆる動物のカップルを1組ずつ乗せるように」。
舟ができあがると、神は世界のあらゆる陸地を水の下に沈めてしまいました。
一神教の親:アブラハム
アブラハムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の「信仰の祖」です。
彼が100歳の時、息子イサクが生まれました。そのとき、奥さんのサラは90歳です。
神はアブラハムの信仰を確かめるため、「イサクをいけにえにして私に捧げよ」と命令します。
アブラハムは当然心を痛めます。しかし神の命令に従うことにしたのです。
イサクに手をかける瞬間、神様からストップがかかります。「君の宗教心はわかった」
アブラハムの信仰が確かなことが確信されました。
この後、イサクはユダヤ人の祖に、アブラハムが妾との間に産んだ子イシュマエルがアラブ人の祖となります。
アブラハム(イスラムではイブラヒーム)は純粋の一神教徒であったとされ、この後にユダヤ教、キリスト教が啓示されました。
その後に最後の啓示としてイスラムが与えられた、これがイスラム教の立場です。
モーゼの出エジプト
アダム→ノア→アブラハム→イサク→ヤコブと子孫が生まれ、そのヤコブの11番目の息子がヨセフです。
ヨセフはエジプトに奴隷として売られました。
やがてエジプトの総理大臣にも匹敵するほど偉くなります。そしてその子孫はエジプトで繁栄しました。
しかしエジプトの王ファラオに弾圧されるようになります。
その頃生まれたのが、ヤコブの子孫モーセです。映画「十戒」の主人公です。
モーセは人々を率いてエジプトを去る決心をしました。
逃げるモーセたちをエジプト軍が海辺まで追い詰めます。「十戒」で有名なシーンです。
海が割れ、モーセたちは割れた海を歩いて渡ります。
後からエジプト軍も渡りますが、途中で海が元に戻り、みんな溺れてしまいます。
危機を乗り越えたモーセは、さらに旅を続ける途中、シナイ山で神から十戒(律法)を授かりました。
イエス
やがてアブラハムの息子イサクの系統からイエスが生まれます。
このイエスについては、コーランにもたくさん記述が出てきます。
しかし先にも書いたように、イスラム教では「キリスト教はアブラハムの純粋な一神教から外れてしまった」と考えます。
まずイエスについて。
キリスト教ではイエスを神としますが、これでは天にいる父なる神と合わせて2つの神がいることになってしまいます。
さらに三位一体論。
父なる神、子イエス、聖霊の3つを唯一神のそれぞれの現れだという。
これも「神は唯一」を徹底しているイスラム教から「なんか、おかしいんじゃない?」です。
というわけで、キリスト教の後に出たイスラム教は、「もう一度、純粋なアブラハムの一神教にもどろうよ」という復帰運動とも見ることができるのです。
さいごに
「モーセが海をパッカーンと割ったなんて‥そんなの非科学的だ!」
と私たちは思いがちですが、クリスチャンにとっては「事実」です。
こういう物語を「歴史」として信じています。
同じように、イスラム教では「コーランは神の言葉、人間の言葉は一切入っていない」と考えます。
他の人は「本当はムハンマドが作ったんじゃない?」と思いがちですが、イスラム教徒にとっては真実です。
聖典をまず事実として認めること。これが信者となるための第一歩です。
これはキリスト教もイスラム教も変わりませんね。
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