2021-05-22

広い世界を見ないと生きている意味がない?海外に出て知る「狭い世界」の重みと大切さ

「毎日家と会社の往復だけ。これでいいんだろうか?」

「育児が忙しくてどこにも行けない。どんどん世間から取り残されているみたいで‥‥」

‥‥そんな風に焦る気持ちは、誰にでもあるかもしれません。

私もです。

私は時には海外に行きますが、ふだんは家で仕事をしています。

朝起きてパソコンに向かい、食事を作り、夜は寝る‥単調な毎日。

誰とも話をしない日もあります。

そんな時に思います。

「物を書く事を仕事にしている以上、もっと違った面白い体験をする必要があるのではないか?」

どんどん外に出て行って、積極的に交友関係を広げるのが良い。それが今の世間の風潮です。

でも果たしてそうなのでしょうか?

みんな狭い世界で生きている

大学を卒業してOLをした後、私は海外取材を仕事をしたいと思い、そのテーマを探しにアジア・アフリカを放浪しました。

もう20年以上も前のことです。

その時にイスラムというテーマに出会ったのですが、それについては、ここでは詳しく述べません。

タイから陸路で西へ向かい、様々な国を通過しました。

そして10ヶ月後にエジプトにたどりつき、(ここに住みたい)と思ったのです。

それはエジプトの魅力のせいもあったのですが、一方で、旅に疲れてしまったのです。

旅をする意義を、これ以上感じなくかっていたのでした。

結局、人の暮らしって、どこでも一緒なんだな

旅をするうちに、そう思うようになったからです。

もちろん国が変われば、風景や食べ物は変わります。

でも人の基本的な営みは、そうそう変わるものではありません。

朝起きてご飯食べて寝る。

家族を作り、そして死んでゆく。

‥‥そんなことがわかってしまった以上、これ以上旅をする意義があるのだろうか?
と考えるようになってしまったのです。

もう一つ思ったことがあります。

みんな狭い世界で生きている

生まれた土地を出ないで一生を終える人が、世界の中ではほとんどでしょう。

では、それで退屈なのでしょうか? 

不幸なのでしょうか?

そんなことはありません。

その狭い世界の中で、家族との喜びや不満、明日の仕事のことや老後の事などを考え、喜怒哀楽に満ちた暮らしをしている。

もしかしたら、世界を転々と移動している自分以上に濃密な毎日を過ごしているかもしれない。

とくに家族のつながりが強いイスラム圏の人々は、今の私たち以上に、豊かで幸せな暮らしをしているように感じました。

生まれ育った町から出ないで一生を終える人生と、世界を一周する人生。

どちらが幸せか?充実しているか?簡単には答えが出ない問題です。

もちろ広い世界を見ることに、意義がないとは思いません。

できることなら、広い世界を見た方が良い。

そこで日本のことが見えてくるからです。

「特別な1日」を目指さなくてもいい

その後しばらくしてから、私はエジプトの砂漠で一人で遊牧生活を送るサイーダと一緒に暮らすようになります。

彼女はラクダ7頭連れて、毎日砂漠を移動しながら暮らしています。

砂漠の暮らしは絵に描いたように単調な日々です。

朝日が登る前に起きて、お茶を飲んだら動物の放牧に出る。

昼になればパンを焼いて食べて、昼寝して、涼しくなったら再び放牧に出て、日が暮れたら寝る‥。

彼女は首都カイロに行ったことがないばかりか、近くの町に行ったことも数えるだけ。

ラジオでたまに海外のニュースを聞きますが、それも「電池がもったいないから」とたまにしか聞きません。

ある意味、すごく「狭い世界」で生きている。

そんな彼女と暑い日中木の下で昼寝をしながら、よく思ったものです。

「ああ退屈だなあ。こんな単調な毎日で、生きている意味ってあるんだろうか」

(彼女には失礼ですが)

ある日、彼女が朝食のパンを焼きながら、何気なく言った言葉が忘れられません。

「見て。山の上から太陽が顔を出す位置は、毎日少しずつ変わるんだよ」

「毎日同じパンを食べてもね、焼き具合はその日その日で変わるから、ぜんぜん飽きないんだ」

私はその時、それが「人生の本質」ではないかと思ったのです。

身近な暮らしの中に、いかに喜びや楽しみを見出すか。

彼女と暮らすうちに、鈍い私にもわかりました。

人生は単調な毎日の繰り返しだということ。

くる日もくる日も同じことを繰り返す。

それが生きるということだ。

べつに「特別な今日」、「特別な明日」をめざさなくともいい。
たいそうな目標などいらない。

それでも、生きている価値がある。

そう思えたら、気が楽になったのを覚えています。

 

一見単調な毎日でも、その中にふとした喜びや楽しみを見出す感性があれば、それは違った毎日になります

結局、この感性がなければ、いくら広い世界に出たとしても、あまり意味はないのではないか。

人間の基本は自分の身の回りの狭い世界にある。

幸せや喜びの種も、自分の身の回りにある。

その狭い世界をないがしろにして、いくら広い世界を見ても意味がありません。

簡単に国境を越えられる今だからこそ、そこで何を見るのか?を考えて旅をしたいと思います。

★「女ノマド、一人砂漠に生きる

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コメント2件

  • BIG-G より:

    初めまして。
    記事の内容に、すごく共感したので、コメントを残させていただきます。
    現在、1年かけて夫婦で海外を放浪している者です。
    僕も、旅を続けていく中で、「狭い世界の重み」を感じるようになりました。
    現地で出会う、魅力的な方々は、現地に根付き、深いコミュニティを築き、人間関係豊かに暮らしていました。
    旅に出る前は、特に意味もなく、「広い世界で活躍したい!」と思っていましたが、今は一周して「狭い世界を楽しみたい。」と思うようになりました。
    そして、「狭い世界」も、僕たちが勝手に思っているだけで、「世界に狭いも広いもないな」って思っています。

    考えを文字に起こしてくださって、ありがとうございます。

  • fujiyo より:

    こちらこそ、お読みくださってありがとうございます。
    ご夫婦で海外を放浪しているなんて、素敵ですね。
    楽しんでください!

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