2022-01-12

フロイト流 しあわせな情報との付き合い方

心理学者フロイトは晩年にこのように言っていたそうです。「自分達の時代の以前に「幸せ」「不幸」を論じる人はいなかった。それを人々が口にするようになったのは、自分達の時代から。」

情報通信が発達して不幸に

なぜかというと、情報通信が発達したからです。

周りの人がどんな生活をしているか知らなければ、それと比べて自分の暮らしが不幸だとは思いません。テレビなど情報通信が発達し、他人の情報が入ってくるようになって、他人と比べ、幸せ・不幸せが論じられるようになったというのです。

6LDKの豪邸で暮らしている人がテレビで紹介されています。すると(自分は2DKのマンションか‥)と思います。南の島でのんびり海を眺めて暮らしている人を見れば(ああ、自分は毎日雪下ろし‥こんな生活、もうイヤ!)とか。

ホテルのプールサイドでお洒落にハムエッグやオレンジジュースの朝食をとっている人を見れば、(こたつの中でごはんと味噌汁と納豆だけなんて、ミジメかも‥)

情報がなければ、自分の暮らしに疑問を持たず、満足していたかもしれません。

さらに今はインターネット、SNSで「比べる」に拍車がかかります。毎日、友人知人が楽しそうな投稿をアップする。ハワイに行ったとか、小説が賞をとったとか、捨て猫を保護したとか、云々。
それをみて(ああ、自分は今日も家の周りを散歩しただけだった)とか、(会社と家との往復だけだった)とか、(休日もテレビ見て終わってしまった)とか思ってしまう。

不幸は他人との比較から

「すべての不幸は他人との比較で生まれる」と言われます。世の中には自分より優れた人は必ずいるものだからです。

その「他人」は、昔は近所の人だけでしたが、今は遠くはなれたところにいる「他人」も含まれる。意識してシャットダウンしないかぎり。

幸せとは一言でいえば「自己肯定」です。今のままの自分でいいんだ、今の暮らしで十分幸せなんだ、という確固たる自信があること。情報をたくさん取り入れれば入れるほど、この自己肯定がゆらぎがちです。

情報って何なんだろう、と思います。

エジプトの砂漠の遊牧民

エジプトの砂漠に暮らす遊牧民。「昔、砂漠では、太陽が出ると仕事に出かけた。昼間一生懸命働いて、夜はすぐに寝た。でも今は夜通し起きてテレビを見て、朝は遅くまで寝ている。テレビは次から次に新しい話を持ってくるから、自分の頭で考えているひまはない。人間の頭は空っぽになってしまった」

情報の取捨選択こそ

情報化社会を生きる私たちにとって、「幸せ」「不幸」を気にしなければならないのは、もはや宿命です。しかし今さらテレビを見ない、SNSをしないというのは現実的ではありません。できることは「どんな情報を取り入れ、どれを捨てるか」を、いつも意識することです。

それには「これ」という正解はなく、一生をかけて自分が楽しく・幸せになれるやり方を追い求める価値ある課題だと思います。私もいまだに試行錯誤しています。

情報洪水の中で溺れているには、わたしたちの人生はとても短い。そして誰かをうらやんで過ごすほど、人生は長くありません

人生に勝ち負けはありませんが、あえて勝ち負けにこだわるなら「多くのことを知っている人」より、「いつも自分を幸せにできる人」の方が勝者だと私は思っています。

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