「自治研」砂漠に生きる

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「月刊自治研」(2003年8月・2004年9月)

(本文)

 砂漠で移動生活を送る遊牧民と暮らした。ラクダ一、二頭に積める荷物だけで、広大な砂漠を移動して暮らす、身軽で自由な生き方に惹かれからだ。
 サイーダ(56)は、紅海沿岸の町ハルガダから二時間ほどの東方砂漠の中で、末息子のサイードと遊牧生活を送っている。飼っているのはラクダ七頭にヒツジとヤギ約二〇頭。夫は数年前に足をいため、砂漠の中の定住地で暮らしている。親戚たちもハルガダなどに住み、サイーダに一緒に暮らそうと誘うが、彼女はがんとして応じない。「私は砂漠を自由に歩き回っているのが好き」という。
 電気もガスも水道もなく、枯木やラクダの糞を集めて燃料にする。水は泉に行って汲み、ラクダに載せて運んでくる。一年に一頭ラクダを売って得るお金約三〇〇〇ポンド(約六万円)が主な現金収入。冷蔵庫などないから、食べる野菜もジャガイモ、タマネギ、豆など、長期保存が可能なものに限られる。毎日の食事はパンと紅茶、それに少しの野菜だけだ。
 テントはない。寝る時に星が見えないのが嫌だという。天井も壁も床もないから、夜は〇℃近くになる冬の寒さはこたえる。テレビも映画館もデパートも、私たち現代人がおよそ娯楽と呼ぶようなものも、もちろんない。
 そんな、ないない尽くしの生活の中で、都会にいては決して味わえないものがある。たとえば、ぴりりと引き締まった朝の空気の中で食べる焼きたてのパンのおいしさ。灼熱の砂漠を二時間歩いてたどりついた泉で飲む水の冷たさ。酷暑が過ぎ去った後に、吹く風が頬をなでていく気持ちよさ。夜空に広がる満点の星……それらは、自然の恵みを受けて暮らし、大地としっかりと関わって生きる者だけが味わえるものだろう。そのひとつひとつを思う時、彼女達が砂漠の生活に固執する理由が、少しだけわかったような気がする。
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