「結婚は信仰の半分」と言われるくらい重要視されるイスラムの結婚。
だから年頃になれば、頼みもしないのに見合いの話が持ってこられたりします。
ではその「結婚観」はどんなもの?
これが、なかなか良いもののようなのです。
「イスラムの結婚観」をコーランやハディースをもとにご紹介します。
愛とやすらぎがベース
コーランやハディースは結婚についてこう書いています。
「二人が愛し合うのに、結婚ほどよいものはない」(イブン・マージャのハディース)
「お前たちの体の一部から妻を創り出し、安んじて馴染める相手となし、二人の間には愛と情を置き給うたとは。考えぶかい人間なら、これこそ有難い神兆よとさとるであろう」(「コーラン」30:21)
結婚とは「ふたりが愛と情で結ばれ、安らぎを得るためのもの」なのですね。
肌を重ね合ってこそ夫婦
「彼女らはあなたがたの衣であり、あなた方は彼女らの衣である」(2:187)
「夫婦はおたがいを温め合う衣のようなもの」とエロティックな関係を実に詩的に表現しています。
体を重ね合ってこそ夫婦。コーランには「性欲を満たすために結婚せよ」という言葉もあります。
イスラムの結婚では「夫婦の性」が中心。夫婦生活はとても大事なものです。
「妻はあなたがたの耕地である。だから意のままに耕地に赴け」(2:223)
これは体位は自由という意味です。ユダヤ教徒たちが「妻と後背位で交わると斜視の子どもが生まれる」と言っていたのに対して下された啓示です。
農夫は畑を精根こめて耕し、種を蒔き、日夜手を入れて慈しむ。
そんなふうに妻を慈しみなさい、と教える。なんとも牧歌的です。
夫婦の営みは善行
だから夫婦の交わりは神がすすめるところです。
「夫が妻の手を取るとき、彼らの罪は彼らの指の間からこぼれおちる」(イブン・マージャのハディース)
「夫が妻の手を取るとき」とは婉曲的な表現で、つまり「性行為の時」という意味です。
夜の営みのために夫が妻の手に触れた時、その手と手の間から罪がこぼれ落ちる。
夫婦の営みは罪を清めてくれる行為でもあります。
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「2人が体を重ねて温めあい、安らぎと愛情を交換し合う」
これがイスラムの考える結婚。
だからイスラム社会には「結婚は良いもの」という価値観が満ちあふれています。
そういうわけで、年頃になると「どうして結婚しないの?」とうるさいのです。
イスラムに入信したら結婚できないのでは?
これは日本人であっても同じ。
日本人女性で入信する際、「ムスリマになったら結婚できないのでは?」と心配な方がいるかもしれません。
しかし逆に結婚しやすくなる可能性が大です。
モスクでお見合いの紹介があったり、周りのムスリムたちが「あの人はどうかしら?」と勝手に探してくださることもあります。
私の知人も「ムスリマにならなければ結婚できなかったかも」と言っていました。
「イスラム教徒になったら結婚できないかも」は無用な心配なのです。
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