
パキスタンの家族。
イスラム教はフェミニズムとは相容れない要素があります。
2つは出発点が違うからです。
フェミニズムは、私の理解では、できる限り男女を平等に、同じにすることです。
そこでは、あまり男女の違いは考慮されていない気がします。それよりとにかく同じであることが重要視されている。
イスラムでは、まず「男女が違う」ことからスタートし、その上で男女が平等であることを目指します。
スタート地点が違うのです。
誤解されがちですが、イスラム教は決して男女差別を教える宗教ではありません。
このブログでもたびたび書いていることです。(参考:イスラム教における女性と男女関係のルール)
平等であるが、「同じ」ではありません。
女性は生理があり、出産することもある。男性にはそれがありません。
生物学的な違いは厳然と存在します。
だから女性が男性と全く同じ働きを求められると、女性に無理がかかります。
女性が生理中も男性と肩を並べて夜遅くまで働いたり、妊娠・出産中も休まず働くことは辛いことです。
イスラム教徒には礼拝の義務がありますが、生理中は義務を免れています。
できるようになったら埋め合わせします。
日本の会社に生理休暇があるように。
生活費は基本的に男性が負担するべきと定められています。
女性は出産する場合もあり、その期間は思うように働けません。
だから生活費は男性の義務としたのです。
ただし女性が働くのを禁止してはいません。稼いでも、家にお金を入れる義務はなく、入れても入れなくても自由です。
このように男女の違いに応じて、無理のないように生きようというのがイスラムの考えです。
(参考:イスラム教の結婚、実は男性はラクじゃない)
それが男女不平等か、差別かといえば、いえなくもありません。
しかし男女が全く同じように生きるのはムリです。
オリンピックの競技でも男女別々に行われます。
男性の世界記録と女性のそれも分けられています。
なぜなら男女は肉体的な条件が違うからです。
しかしそれは身体能力の差であって、どちらかが劣った存在というわけではありません。
*
イスラム教には、一見不平等と思える教えがあります。
信者には喜捨という義務があり、毎年財産のうち何%かを困った人のために支出することになっています。
ただし貧しい人には、その義務はありません。
ラマダン月には1ヶ月の断食が義務づけられていますが、病気の人、年老いた人などは免除されています。
全ての人に同じ義務を課すのは、ハンディがある人には酷なのです。
だからといって、その人が劣った存在というわけではありません。
人々の違いを考慮した上で、なるべく平等を目指して行こうとする。
この世のあらゆる人々は、個性も能力も違います。その人たちがなるべく楽しく幸せに生きられるために必要なのは、絶対的な平等ではなく、相対的な平等だと思います。
【関連記事】