2021-11-15

イスラム教徒と日本人の一番の違いは「あきらめが早い」「将来にクヨクヨしない」

エジプトの結婚式

エジプトの結婚式で踊る花嫁。結婚式では踊りがつきもの。ベリーダンサーが登場しない式でも、女性たちや花嫁は率先して踊る。

イスラム教徒と日本人で、一番違う点は何ですか? とある人に聞かれました。
「あきらめが早い」「将来にクヨクヨしない」。この2点が、たくさんのイスラム教徒と接してきた私の感想です。

イスラム教徒はあきらめが早い

イスラム教徒は、失敗しても「これは神が望んだことだ」と思います。だからあきらめが早い。「自分の何がいけなかったんだろう?」とウジウジ悩んだりはしません。

イスラム教徒にとって、この世の全ての出来事は神の仕業です。聖典コーランには、「未来のことを言う時、『自分は〜する』と言ってはならない、必ず『神が望むなら』と付け加えなければならない」と書いてあります。

未来をどうこうできるのは、神だけです。未来の決定権は神だけにある。こう思っていれば、一見不幸と思われる出来事も、あきらめがつくのです。

私の友人には7人子供がいて、もういらないと避妊していました。しかし妊娠してしまった。彼女は「これも神様の贈り物」と嬉しそうに言っていました。

子供を望んだけれど、できなかった夫婦は、「神様がそうされたから」と納得していました。

子供を事故で亡くした母親は、「あの子が死んだのは、神様がそうされたからだよ。今頃は天国にいるさ」と、表向き平静な表情で語っていました。

一種の「悲しみを和らげる知恵」かもしれません。

イスラム教徒は将来のことでクヨクヨしない

私たちは将来に何かしらの不安があるものです。病気になったらどうしよう?老後にお金がなくなったらどうしよう?しかしイスラム教徒は「神がついているから大丈夫」と考えます。

私は砂漠に暮らす女性サイーダを長年取材してきました。砂漠にはサソリや毒ヘビがいて、噛まれたら死ぬこともあります。しかし彼女は言います。「神が見守ってくれているから大丈夫」。

子供がいない夫婦に「老後は不安ではありませんか?」と聞くと、「神がついているから大丈夫」。

                     *

「神なんて、非科学的だろ?」と日本人なら思います。しかし、いるかいないかは誰にもわからないのです。だったら「いる」と信じた方が得ではありませんか?

失敗しても「これは神の仕業だ」、将来の不安についても「神がついているから大丈夫」。これならノイローゼになったりすることも、あまりないでしょう。人間、何事も自分に都合よく考えた方がいいのです。

非科学的だと言いながら、私たちは新年に神社に行くと必ず祈ります。「神様、どうか今年も良い年でありますように」。
誰でも心の奥底には、「神」を求める気持ちがあるのです。

そして「神様、どうか‥」の言葉の裏には、「未来をどうこうできるのは、結局は神だけだ」という潜在意識があるからではないでしょうか。それを明確にしているか・していないかの違いだけです。

それでも私達は「未来は自分の手でどうこうできる」「努力次第で未来は切り開ける」と思いたがります。
それは「おごり」かもしれません。人間の力は限界があリます。どんなに努力しても、叶わないこともある。

「おごり」の気持ちがあると、失敗した時に痛い。「自分の努力が足りなかったんだ」と思うからです。
そうではなく、「神様にお任せしよう」とゆったり構えていた方が、楽に生きられると思いませんか?

そもそも私たちが生まれたのも、死んでいくのも、自分の意志ではありません。だから自分の意志で未来をどうこうしようというのが、いかに小賢しいものか。自分ででできることは、たかがしれています。

自分の意思を超えた大きなもの(イスラム教徒の場合は「神」)を視野に入れておけば、ゆったりかまえていられます。先人はそれについて「人事を尽くして天命を待つ」と言いました。

「未来は神が決めること」と思っていれば、たとえ成功しても「それは神のおかげ」と思い、感謝の気持ちが湧いてきます。
失敗しても、「神様がそうされたから」と自分を責めずにすみます。

つまり良いことづくめ、なのです。

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