2019-03-26

医療の進歩で私たちは本当に幸せになったのか?インドネシアのイスラム教徒の死生観から考えた。

インドネシアのマーケット

インドネシアのマーケットで働く老女。竹の葉っぱは食物などを包むのに使われる。

医療の進歩で果たして人は幸せになったのだろうか?そんなことをインドネシアで考えました。

インドネシアには保険制度がないと、現地に住む日本女性から聞きました。

医療費はとても高く、保険もないので、庶民は気軽に医者にかかれません。

ちょっと風邪ひいたくらいなら、薬局で薬を買って飲んでおわりです。

そもそもインドネシア人は医者や病院を信用していません。日本と違って、いい加減な医者も多いからです。

ジャムーという伝統的な漢方薬を今だに飲んでいる人が多い。

日本ではほとんどの人が健康保険に入れますから、具合が悪くなってもすぐに治療できます。

会社などでは定期的に健康診断が行われ、病気があればすぐに見つかる。その点ではすごく恵まれています。

しかし医療の進歩で、時に無駄(と思われる)延命治療をされたりもする。

最期を(自宅でなく)病院で迎える人も多いのも事実です。

なるべく医療のお世話にはなりたくないと思っている自分としては、インドネシアのように頻繁に病院や医者に行かないというのも、悪くないなと思います。

老人ホームは少ない

「老人ホームは聞いたことがない」と、その日本女性は言います。

年老いた両親を施設に入れるという発想がないのです。

死ぬまで家族が面倒をみます。

これが可能なのは、大家族制が生きているからです。

長男ばかりでなく次男・三男も、結婚後に両親と同居するケースが多いそうです。

だから病人や老人の世話をする人がたくさんいるのです。

年金はほとんどなく、もらえるのは公務員と軍人だけとのこと。

でも人々は将来をあまり悲観していません。家族が支えてくれるからです。

日本との死生観の違い

「こっちの人は、死に際に生きることに執着しない」とその日本女性はいいます。

ある程度の年まで楽しく生きられたら、それでいいと思っているのです。

病院で治療しながら少しでも長生きしたり、寝たきりで最期を迎えるより、家で家族に囲まれながら楽しく死んでいきたい。

無理に長生きすることにしがみつこうとしない。

ガンになっても、病院に行けないので、ガンかどうかわからない。

具合が悪くても医者に行かず、ずっと家で寝込んでいて、死んだ後に「実はガンだったんじゃないか?」というケースも多いそうです。

しかし、ガンとわかって、抗ガン剤など辛い治療を続けるのと、ガンかわからないまま、家で家族に囲まれながら死んでいくのと、どっちが幸せなのか?

私は親戚を抗ガン剤治療の末に亡くしたので、そんなふうに思います。

もちろん医療が進んで助かる人もたくさんいて、それは喜ばしいことです。

しかし一方で、単純に幸福だと言えない現実もあることは確かだと思います。

「さらに言わせてもらえば、むやみやたらと科学や医学に頼るなということだ。科学は常に諸刃の剣である。医学や技術の進歩によって救われた命とそれによって失われた命と果たしてどちらが多いか。私は五分五分だと感じている。医学が作り出す病気もまた少なくないのである。

そのことを統計的に証明せよと言われても、私にはそれをする気はない。統計や数字もまた現代の大きな病のひとつだと感じるからだ。

数字は正直だが、それを扱うのは問題だらけの人間たちではないか。文明の利器と称されるもので、凶器と化す可能性が皆無なものがあったら教えてもらいたいものだ。

(『大河の一滴』)

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