警察がヒッチハイクした家族の家へ <「イランの家めし、いただきます!」第1章−1>
「イランの家めし、いただきます!」第1章−1です。ポリスが私のためにヒッチハイクしてくれた家へ。
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イランでヒッチハイクなどと大胆なことを思いついたのは、それがイラン人と知り合う一つの手段ではないかと思ったからだ。
それまでに3回イランを旅したことがあった。1回目は20年以上前、2回目は2011年、3回目は2015年7月。最後の2回は両方とも10日間くらいで、どちらも体調を崩し、半分くらい寝込んでしまった。満足に旅ができなかったのだ。
今回こそは万全な体調でイランを楽しみたい。できれば徹底的にイラン人とまみれて。その手段のひとつがヒッチハイクだと思ったのだ。
ところで、イランの旅では、イスファハーンやヤズドといった観光地をめぐるのが王道である。私は過去それらを訪れたことがあり、今回は別の場所に行きたいと思った。
そこでまず向かったのが、カーシャーンという町だった。首都テヘランから南へ260キロ、テヘランとイスファハンの中間にある。空港からヒッチハイクを試みたら、幸運にもイスファハンへ通じるハイウェイの入口まで乗せてくれる車があり、そこでイスファハン行きのバスに乗ってカーシャーンで下車した。
カーシャーンの交差点にて
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カーシャーンの交差点
先を急いでいたこともあり、カーシャーンでは一泊だけした。日本ではあまり知られていないが、カーシャーンは他の観光地にも匹敵する魅力的な町だ。「美しいタイルの町」を意味するこの町は、古くからタイルや陶器、絨毯などの生産で栄えてきた。旧市街には伝統的な日干しレンガの家々が並び、ヤズドの古い町並を彷彿とさせる。バーザール(伝統的な市場)は何時間歩き回っても飽きることがなく、夜にライトアップされるアーガーボゾルグ・モスクはとりわけ美しかった。次回はぜひ数日時間をとり、ゆっくり滞在したいものである。
カーシャーンの次の目的地は、北部のビール砂漠の中の「クー」と「ガルメ」というオアシスの村だった。英語のガイドブック『ロンリープラネット』には、「ヤシの木に囲まれた1500年の古さの土の家々がある村で、すばらしくリラックスでき、これ以上イラン人のホスピタリティを感じられる場所はない」とある。そこにたまらなく旅情をそそられた。
クーに行くには、まずナーインという町に行き、そこでバスなどを見つける必要があるようだ。
ナーインまでの車はどこなら拾えるか? 漠然とカシャンの駅前なら可能ではないかと考えた。
朝8時、カーシャーンの駅前に立って、止まってくれる車を待った。
が、どうもうまくいかない。通るのは男性一人の車ばかりで、どれも私を興味深そうに眺めながら通り過ぎていく。ほとんど舐めるような目つきの男もいる。
私の様子を見かねたのか、近くにいた男性が近づいてきた。「ナーインに行きたいのか? だったらここじゃダメだ。ミダン(交差点)に行かないと」
そこにたまたま通りかかった車をとめ、私を交差点まで乗せてくれるよう頼んでくれた。ドライバーはサングラスの若い男性だ。
交差点に行ってみると、タクシーが2,3台とまっていた。サングラスの男は、「この人がナーインまで行きたいんだって」とタクシーの運転手に説明。そこに一台の家族の車が通りかかり、手をあげるとすぐに止まってくれた。タクシー運転手たちが車の主に説明してくれ、どうにか乗せてくれることになる。
豹変したおじさん
運転手は薄茶色のワイシャツを着た40代くらいの男性だった。助手席には5才くらいの男の子、後ろには10才くらいの女の子が。子連れなら安心だ。
助手席の男の子はアメをなめながら前と後ろの席を行ったり来たり。女の子は私と目があうと、恥ずかしそうに静かに笑う。紺色の制服を着た利発そうな子だ。
やがて一車線だった道路は二車線になった。砂漠の風景が続く。
女の子がカバンの中からノートを取り出して、「AMERICA?(あなたはアメリカ人ですか?)」と書いて私に見せた。
「ううん、日本だよ」というと、運転席のお父さんに「日本だって」といい、ふーんと嬉しそうな顔をする。
「ナタンズに行くの?」
女の子が聞いた。彼らはナタンズに行くらしい。ナタンズはナーインの手前にある町だ。「ナーインだよ」というと、お父さんと何やら話し合っている。
「ナーインまでいくらだ?」
お父さんが私に聞いた。お金を払えばナインまで連れて行く、ということらしい。そのつもりはないので、あわてて「ナタンズで降りるから」と伝える。
道はゆるやかなアップダウンを繰り返す。時折ヒツジたちの放牧風景が現れたりするのどかな風景の中、ナタンズに到着した。カシャンから40分ほど。市内は街路樹があり、静かで綺麗な町だ。
途中で子どもたちは先に降りてしまい、車の中にお父さんと私だけ残された。
「これからナーインに連れて行くよ」
突然お父さんがいった。
「お金は?」
「タダでいいよ」
さっきはお金払えっていったのに。助手席をとんとんと叩いて「ここに座れ」という。どうして席を移動しなければならないのか、わけがわからない。断ると「いいから、いいから」。
「本当にタダなの?」「そうだよ。だからここに座って」「ここでいいです」‥‥そんなやりとりを繰り返しているうちに、気づくと人の良さそうなお父さんの顔がにやけた顔つきに変わっている。あわてて礼をいって車を降りた。
親切すぎるご婦人
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ナタンズで車を見つけるのを助けてくれ家族。右が車中で話をしたご婦人。
美しい並木道だった。涼しい風が吹いている。車を探すのには好都合だ。とはいうものの、ここはいったいナタンズのどのあたりなのか? ナタンズに来る予定などなかったから、地図も持っていない。
近くに広場が見える。そこに行けば車があるかもしれない。
広場にいた背広の紳士に「すいません、英語話せますか?」とたずねると、「この人が話せるよ」と近くの車の中にいた女性を呼んだ。サングラスをかけた恰幅のいいご婦人だ。
「すみません、ナーインに行きたいのですが、どこなら車が見つかるでしょうか?」
「どうやって?バス?電車?タクシー?」
どれもノーといい、「カー(車)で」といっても通じない。ヒッチハイクなど、イラン女性には考えもつかないことなのだろう。横で聞いていた背広の紳士が「金がないのか?だったら、これを使いなさい」と、財布から5千円相当のお金を取り出した。
いえいえ‥‥とんでもない。
なんとか「ナーインまでの車が見つかる場所まで連れて行ってほしい」ということは理解してもらえて、婦人がそこまで車に乗せてくれることになった。
彼女はイギリスに住んでいて、休暇で故郷のナタンズを訪れているという。もちろん英語はペラペラ。「どのくらいイラン旅行してるの?」「いつ来たの?」「イラン何回目?」「1人?」「子供は?」‥‥弾丸のように次々私に質問を投げかける。そして私の答えにいちいち「ワーオ!」、「オーマイガッド!」、「グレイト!」などと大げさに驚きながらゲラゲラ笑っている。私が話したのはイランは3回目、1人で旅行、子供はいない、ということだけ。それほど驚くこととも思えないが。
車で市内をぐるぐる走り回ったものの、結局ナーインへの車を拾える場所がわからず、元の交差点に戻ってきた。
「行く車が見つかる場所は遠いようだから、夫がタクシーをつかまえに行ったわ」とご婦人。ほどなくご主人が現れた。「あそこにタクシー呼んできたよ。もうタクシー代は払ってある」
ああ、申し訳ない。
その「車が見つかる場所」はすぐ近くだと思ったら、タクシーで10分もかかった。いったいタクシー代はいくらだったのだろう?
アイアム・ポリス
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ヒッチハイクの途中で通りかかった家族。
何もない荒野のような場所だった。車は2、3分にやっと1台通るくらい。男一人の車ばかりで、明らかに誘ってくるような人もいる。イランで女がヒッチハイクするということが、どういうことなのか、ようやく私にもわかってきた。
その時、一台の車が通り過ぎ、またUターンして私の方に戻って来た。
運転席の窓があき、私を手招きする。チェックのシャツを着た頑丈な体型の男だった。近づくと、彼はポケットから手帳のようなものを見せて言った。
「アイアム・ポリス」
(どきっ!)
「パスポート見せろ」
私服警察だった。一気に心臓の鼓動が高まる。
い、いったい、私が何をしたと‥‥?
私のパスポートをパラパラとめくりながら、「イラン2回目か?」。そしてビザのところをじーっと見ている。
「仕事は何だ?」それ以外、英語が話せない彼とは会話が続かない。持っていた『旅の指さし会話帳イラン編』を見せて話をしようとするものの、彼はただパラパラとめくって眺めるだけ。そしてなぜか私を見てニヤニヤしている。
いったい何が問題なのか? スパイ容疑? 麻薬か?
ニヤニヤしているところを見ると、ひょっとして私が売春まがいのことをしているとでも思ったのだろうか? まったく、とんでもない。
ともかく言葉がわからないほど不安をかきたてられることはない。彼は携帯を取り出し、どこかに電話している。
10分ほどして、オートバイに乗った2人の警官が現れた。一人は風船のような体型で、お腹がベルトよりも10センチほど前にせり出している。いったい何が起こるんだろう‥‥。
「おい、これ見てみろ」
私服警官が2人に会話帳を手渡した。2人がしばらく食い入るように眺めている。が、一転してなごやかムードに変わった。ページをめくりながらゲラゲラ笑い出したのだ。「おっ、こんな言葉も載ってるぞ」、「ははは、おもしろいなあ」‥‥そんな感じだろうか。
お腹がせり出した男が私のところに来て、あるページを見せた。指差すところには「心配ない」という単語がある。
とりあえず、ほっとした。でもそれなら、早く解放してくれないかなあ。彼らはあいかわらず本のページをめくりながら笑い合っている。
ポリスのヒッチハイク
「タクシーに乗らないのか?」
お腹がせり出した男が私に聞いた。
「普通の車で行きたいんです」
「タクシーに乗れ」「普通の車で行く」「タクシーで行け」‥‥押し問答が続き、彼らは私を説得するのをあきらめたのか、驚いたことにヒッチハイクを始めたのである。
通りかかる車を片っ端から止める。中をのぞき、男だけの車ならパス。10台くらいをやりすごした後、一台の車が止まった。家族の車だった。私を乗せてくれるらしい。
車を運転しているのは30代くらいの大柄の男性だった。助手席には老女が、後ろに若い女性が2人座っている。私のスーツケースを後ろの荷台に入れようとしたが、すでに荷物でいっぱい。後方座席の女性が膝にかかえ持ってくれた。私はそれ以外にもリュックがあったからだ。申し訳ないと思って彼女たちを見ると、ニコニコと笑っている。そのおだやかな微笑に、たちまち緊張がほぐれていく。
若い女性の1人が少し英語が話せたので聞くと、運転しているのは彼女のご主人、助手席がそのお母さん、私の隣がご主人のお姉さんだそうだ。彼らはヤズドに暮らしていて、ゴムに巡礼に行った帰りだそう。ゴムはイスラム教シーア派の聖地。テヘランから南へ1時間ほど行った場所にある。
「どこに行くんですか?」
運転席の男性が私に聞いた。
「クーです」
「クー?」
彼は宙を見るような顔をした。携帯を取り出し、誰かに電話。それを突然私にバトンタッチする。
「僕のいとこだよ」
イランでは突然知らない相手と電話で話さなければならないことが、よくあるのだ。
「ハロー?あなたの名前は?」
電話口で若い女性がいった。
「どこに行きたいのですか?」
きれいな英語で聞く。
「クーです」
「クー?それはどこですか?聞いたこともないわ」
彼女は続ける。
「このファミリーが、ヤズドの自分たちの家に来てほしいんですって」
え!?
いきなりの展開だ。
イランやイスラム圏にいると、日本の常識みたいなものがしばしば覆される。知り合ったばかりの他人を気軽に家に呼んだりしないとかだ。
20年前に初めてイランに来た時もそうだった。有名な遺跡で、公園で、バスの中で、たまたま知り合った人の家に呼ばれることが幾度となくあった。その甘やかな記憶が強く残っていたために、イラン旅行の2回目、3回目にほとんどそれを体験できなかったことが心残りでもあり、「もっとじっくりイランを旅したい」と思ったわけである。
「いいんですか?」
「ええ、もちろんです」
ヤズドは2回訪れたことがあり、今回行く予定はなかった。が、こうなれば話は別だ。それにポリスに捕まったおかげで、だいぶ時間をロスしてしまった。今日のうちにクーに着くのは無理があるかもしれない。暗くなってきたら移動も難しくなる。ありがたいお言葉に甘えることにした。
「ランチ食べますか?」
隣の女性が聞いた。時刻は3時くらい。
助手席のお母さんからサンドイッチが回って来た。スパイスがきいた肉や野菜が詰まっていておいしい。さらにリンゴ、オレンジ、ザクロ‥‥次から次へと果物が回ってくる。どれも味が濃い。リンゴは日本のものに比べて小ぶりで、濃厚な甘みがある。そして食後はお茶。
外はひたすら土漠の風景が続く。
運転席の夫が時々冗談をいい、うしろの2人がケラケラと笑う。何がそんなに面白いのか‥‥。ペルシャ語がわからないのが残念でたまらない。そして運転しながら音楽に合わせて踊り始めたりするので、ハラハラドキドキする。その合間に「カー・イズ・ビューティフル?(僕の車は美しい?)」と私に向かってたずねるので、「はい、とっても」と答えると、喜んでまた踊り出す。
途中ドライブインでトイレ休憩。お母さんがトイレの水道で果物を洗う。
さすがにもう食べ物はおしまいだろうと思っていると、その後もオレンジ、デーツ(なつめやし)、リンゴ、ザクロ‥‥と、外が暗くなり始めても食事タイムが続き、夜7時近くに到着した。
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招かれた女性アザデの家の夕食。大人数で食べれば、とりわけおいしい。
それは一見地味な土壁の家だった。
が、中に入ってびっくり! 目の前に畳20畳分はありそうなリビングが現れた。イラン人の家に招かれて、とにかく驚くのはその広さだ。ごく一般的な庶民の家であってもである。そして物がなく、すっきり片付いている。
私が呆然としていると、
「ハーイ、私はアザデよ。あなたは?」
タンクトップに半ズボン姿の美女が握手を求めてきた。運転していた男性の姉だという。すでに私のことを聞いていたらしい。「疲れてない? 何が必要なことないかしら?」
とまどう私に「シャワー? トイレ? それとも眠りたい?」「疲れてたら、隣の部屋で横になっていていいわよ」などなど、気を使ってくれる。
ゴムの名物菓子ソーハーンとお茶をいただきながら、彼女と話をする。ソーハーンはピスタチオ、サフラン、カルダモンなどが入ったクッキーだ。しっかりした甘さとカルダモンの上品な香りがくせになる。
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娘に勉強を教えるアザデ。
そこへ次々に子連れの女性がやってきた。アザデの姉たちだ。一人は弁護士、一人はテイラー。ちなみにアザデは看護婦だ。それぞれ結婚して別の家に暮らしているが、夕食はいつも母親の家で食べるという。父親が1年前に事故で亡くなり、お母さんがさみしくないように、という配慮である。
テイラーの姉には娘が2人いて、そのうちの1人が「さっき電話で話したのは私よ」と声をかけてきた。声は大人びていたが、まだ12歳だという。
アザデが礼拝を始め、その間お姉さんたちが手早く夕食をつくる。タマゴと小麦粉をまぜてフライパンで焼いたもの。それにスープとごはん。
広間の床に「ソフラ」という布を広げ、その上に料理を並べる。イランではソフラの上に料理を並べ、床に座って食事するのが一般的だ。
アザデの隣で食べながら、「なんで看護婦になったの?」と聞いてみた。
「医者になりたかったけど、なれなかったからよ」
不妊治療で有名なドクターのもとで働いているそうだ。イランでも子どもができない夫婦が増えているとのこと。「添加物が入った食べ物が増えたり、ストレスなどが原因」というのが医者の見解だそう。
アザデには7才の娘が1人いる。夫はもう一人欲しいそうだが、彼女は1人で十分だそうだ。
「そういう場合、どうするの?」
「きまってるでしょ、産むのは女よ」
ほとんどの女性は出産しても働くそうだ。産休は6ヶ月間。「いずれ10ヶ月という法律ができるかも」と彼女。保育園にあずけて働く女性もいて、その場合の保育園料は月3千円くらいだそうだ。
テイラーの姉は 17才の時から働いているそうだ。
「仕事は楽じゃないわ。奇抜なデザインを望む人が多いんだもの」
親せきの結婚式の衣装はすべて彼女が作るそう。後で見せてもらったアザデの結婚式の衣装も、彼女がデザインしたものだった。胸の谷間が強調された衣装で、日本の方がよっぽど地味であった。
先ほどの12歳の次女に「テイラーになりたい?」ときくと、
「大変だからやめとくわ。医者になりたい」
医者の方が大変だと思うが‥‥。
「イランで女性は結婚しても自由に働けるの?夫がダメと言ったらどうなるの?」
「それでも話し合って、だいたいOKになるわ」
「政府の中には女性が仕事をするのを好まない人もいるけど、私たちはおとなしく従ってないわ」と勇ましい。
そこへアザデの夫が遅れて登場。部屋にいた女性たちが、さっといっせいにスカーフやチャドルをかぶる。12歳の彼女も。「私たちはイスラム教徒だから」とアザデ。チャドルの下の一面をちらっと垣間見た気分だ。
*「イランの家めし、いただきます!」ノンフィクション写真作家として活躍する著者が、アポなしでイランの一般家庭を泊まり歩いた20日間の旅行記。言葉が通じなくても快く迎え入れてくれる、おせっかいであたたかな人々との出会いと、それぞれの家でご馳走になった“家めし”をめぐる食紀行。食を通してイランのライフスタイルが見えてくる!







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