2015-09-18

シリアの村を15年後に再訪して

syria village シリアの村

村の風景。とんがり帽子のような住居はこの地方の伝統的な家。近年コンクリートの家が増え、とんがり帽子の家は家畜小屋として使われることが多くなった。

土のとんがり帽子の家が並ぶ美しい村を15年ぶりに再訪しました。最初に村の存在を知ったのは、みやげ物屋店で見たポストカードです。牧歌的な風景に思わず一目ぼれしてしまいました。ガイドブックにはない小さな村です。

村はハマから乗り合いタクシー20分ほど。辺りは一面緑の田園風景が広がっていました。まるで緑の絨毯を敷き詰めたように。ここで村長さんの家に滞在しました。

コーヒーのある暮らし

村長さんの目の前には風格あるコーヒーセット。その横にはコーヒーを細かくするすり鉢とすり棒。水を入れるオレンジと青のポット二つ。電気コンロの上にも金色のポットが

この村の人たちは元遊牧民です。村民たちは遊牧生活をやめて250年ほど前に村に定着しました。村に暮らすのは40家族ほどで、みな同じ家族を祖先とする人たちです。

村長さんは目の前の金製のポットからコーヒーを注ぐと、私に手渡します。やや酸味のきいた、さっぱりした味。コーヒーは、おちょこのような陶器のコップに半分ほどコーヒーが注がれます。ここでの飲み方の流儀は独特で、一杯飲みほして「もういらない」と合図しないかぎり、えんえんと注がれ続けます。

村ではもめ事などが起こると、警察ではなく村長が解決します。だから村長さんの家にはいつも誰かが出入りしている。来客には必ずコーヒーでもてなします。コーヒーを飲みながら話をし、村長さんが解決策を下す。そのため村長さんが1日に飲むコーヒーの量は20杯から30杯!

村長さんはイスラム教徒が持つ数珠をいつも指でいじくりながら、なにやらぶつぶつとコーランの章句らしきものを唱えています。そして眼光鋭い目で私をじろりと見つめながら、口を開けば、「あんたもこの家に一ヶ月もいれば、わしらの言葉がペラペラになるさ」。シリア人はいつでも突然の乱入者を温かく迎えてくれるのです。

男だと思ったよ

「ところで」と村長さんは言います。「あんた前回会った時は、男だと思ったけど」
(?)
忘れていましたが、以前この村に来た時、たしかに一軒の家に案内されたのを思い出しました。そう、たしかとんがり帽子の家。でも15年も前の話です。きっと他の人と勘違いしているのでは?

それでも村長さんは、「いや、確かにあんたじゃよ」。奥さんも「私もあなたのこと覚えてるわ」。そして村長さんは言います。「あんたはあの時、髪が短かった。だから男じゃと思っとったよ。今はスカーフをかぶってるから、女だとわかったけれど」

アラブの女性は髪が長く、短髪は「男みたい」「恥ずかしい」と言われます。男性は長髪を好むからだそう。そしてここでは女性が一人旅する習慣もなく、さらに私の服装は今も当時も色気のないダボダボズボンに地味な色のシャツ。だからといって男にまちがえられるなんて……。

それにしても、15年も前のことを覚えているとは、なんという記憶力の良さ。村長として村内のあまたの紛争を解決していくためには、忘れっぽくてはつとまらないのかもしれません。

でも当時の私は、シリア方言はおろか、エジプト方言のアラビア語も話せなかったはず。いったいどうやってコミュニケーションしていたのか。それでも、村長さんは意思疎通もままならず、どこの馬の骨かわからない外国人を快く迎え入れ、コーヒーを振る舞ってくれたのでしょう。

前回招かれたのは、とんがり帽子の家の方でした。今の村長さんの家はコンクリートです。今村のとんがり帽子の家は、家畜小屋や倉庫として使われていることが多いそうです。全く使われなくなってしまったものもあり、そうなると急速に朽ちていってしまいます。

結婚は同じ部族どうしで

夕食のもてなしは、ほうれん草の煮込みとキャベツの煮込み、ヨーグルトなどだった。すべて自家製だ。料理を載せた丸い大きなお盆を囲む。ホブスという平たいパンで料理をはさんで食べる。

村長の末娘のノーラさんは20歳。フィアンセがサウジアラビアにいて、近々結婚のために渡航するとのこと。相手はいとこ。村長さん夫婦もいとこ同士。アラブにはいとこ婚が多いのです。

いとこ婚約が多いのは、結婚する相手のことをよく知っているから安心、結納金が少なくてすむ、などの理由です。部族の資産が外に流出せず、部族の結束が強まるからという理由もあります。

フィアンセはリアドで働いて2年。リヤドにはエジプト人などアラブの国からの出稼ぎ者が多く、中でも最も多いのがシリア人とのこと。同じ部族の人が暮らすコミュニティもあるそうです。

ノーラさんには3人のお姉さんがいて、みな30歳すぎて独身です。縁談もあったものの、相手の部族が違うという理由で村長さんは断ったそう。ダマスカスやアレッポなど大都市は部族色が薄れているものの、まだ村落部では健在なのです。

でも同じ部族同士に固執していたら、男性はサウジなど海外へ出稼ぎに行ってしまう人も多い。村にいる男性は少なくなってしまう。だから同じ部族に固執していたら結婚のチャンスを逃してしまうのではないか?と部外者ながら心配してしまいます。

生まれた場所で住み続ける幸せ

でも結婚のために外の土地に行って、そこで必ずしも幸せになれるとはかぎらないかもしれません。アラブでは「血」のつながりが強く、親子や兄弟、いとことの関係が重視されます。

結婚しても、妻は夫の両親を「お母さん」「お父さん」とは呼びません。嫁にいっても、しょっちゅう実家に帰っる。結婚しても苗字を変えない。血のつながりが重視されるから、養子は認められない。そのため妻が子どもを産むことが求められます。

そう思うと、住み慣れた場所で両親と暮らした方が、幸せな場合だってあるでしょう。

結婚のためにサウジの渡航をひかえたノーラさんは言います。
「本当はこの村にずっといたいの。ここほど、美しいところはないわ」

知らない外国で苦労するのがいいのか、住み慣れた土地で両親となごやかに暮らすのがいいのか、私にはわかりません。でもここの人は、与えられた環境にあらがうことなく静かにうけとめ、心安らかに暮らす術を、私などより数倍たくさん知っているように思えました。

【「女ひとり、イスラム旅
シリアの詳しい情報は、こちらに記載しました。ご興味あれば、ぜひお読みください。

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