2020-08-30

預言者ムハンマド*最後で最大の預言者

サウジアラビア・メディナのムハンマドの墓廟

イスラムの聖地であるサウジアラビア・メディナにある預言者ムハンマドの墓廟。

預言者ムハンマドとは?

唯一神アッラーから啓示(コーラン)を預かって人びとに伝えた預言者・使徒であり、イスラムの布教を行った人物です。

預言者と使徒
預言者とは神から言葉(啓示)を授かった者のこと。神の言葉は普通の人には聞くことができず、神が選んだ人にだけ聞こえるとされています。使徒とは、預言者のうちで、神の言葉を預かるだけでなく人々に伝え、広めた人。預言者の一部が使徒。ムハンマドは預言者であり使徒。

ムハンマドは信徒の手本

ハディース

ムハンマドの言行録をまとめたハディース。最も権威のあるブハーリーのハディース集は日本語訳もあり、中公文庫で6冊にまとめられている。

イスラムではムハンマドをアッラーの使徒と認め、その教えに従うことが、神の唯一性を信じることと並んで最も重要な信仰箇条です。信者はハディースにあるムハンマドの言行(スンナ)を、日々の行いの規範としています。

『アッラーの使徒のなかに汝らのためのよき模範がある』(33:21)
『使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。』(4:80)

ムスリムたちは何かを行う時「それはスンナだから」と言います。あごひげを生やす男性が多いのも、ムハンマドがそうしていたと伝えられているからです。

ちなみに「スンニ派」は、預言者ムハンマドのスンナに従う人々のこと。(「シーア派」は、ムハンマドのいとこで娘婿のアリーとその子孫を預言者と同じくらい重要視し、その言行にも従っています。)

ムハンマドは最後で最大の預言者

「ムハンマドは最後で最大の預言者」とイスラムでは位置付けています。

『ムハンマドは、あなたがた男たちの誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、預言者たちの封緘(ふうかん)である。』(33:40)

コーランにはムハンマドを含めて25人の預言者が登場します。コーランによれば、人類の歴史が始まってから、神は何度も人類を正しい道に導こうと、各時代に各民族の中から預言者を選び、警告や福音となる言葉をもたらしてきました。

神はユダヤ教徒に神の言葉として「聖書」を与えたが、ユダヤ教徒たちは神の言いつけを守らず、乱れた生活をしていた。そこでイエスに改めて神の言葉を伝えました。ところがキリスト教徒たちも神の言葉を守らない。こうして神は最後の預言者としてムハンマドを選び、これ以上必要ない完璧な啓示をもたらした。これがイスラムの考えです。

イスラム教徒にとっては「旧約聖書」も「新約聖書」も全て神の言葉を書き記した大事なものですが、とりわけ最後に与えられたコーランが最も大切である。それがイスラム教徒にとってのコーランの位置づけです。

ムハンマドは普通の人間

ムハンマドは最後で最大の預言者ですが、あくまで一般人であり、崇拝の対象ではありません。

イスラムは厳格な一神教であり、唯一神への信仰に基づいている以上、預言者が神格化されることは許されません。キリスト教ではイエスを「神の子」として神格化していますが、コーランではこれを厳しく批判しています。

またキリスト教には神と人間を仲介する聖職者が存在しますが、ムハンマドは聖職者でもありません

ムハンマドが「ただの人間」であることをコーランは強調し、しばしば「飯を食べ、市場を歩く人」と表現します。

一般信徒との違いは、神からの啓示を預かって伝えた「神の使徒」であるだけです。

ムスリムにとってのムハンマド

崇拝の対象ではないが、ムハンマドは信徒たちの尊敬の対象であり、憧れの人物、人間としての手本です。市場で飯を食う普通の人間だからこそ、生きる手本になると言えます。

そもそも彼がメッセージを伝えてくれたから、自分たちがイスラム教徒として平安を手にすることができたのですから、ムハンマドに対する敬愛の念は深いものです。

その証拠にイスラム圏で最も多い男子の名前が「ムハンマド」です。インドネシアなど東南アジアでも同様です。

ムハンマドの生誕祭は「マウリド 」と呼ばれ、イスラム世界各地で盛大に行われています。(サウジアラビアでは行いません)

ムハンマドの顔を描いてはいけない

イスラム教では偶像崇拝を厳しく禁じているため、神や預言者の像をつくって拝むことはありません

そのため、特にモスクや礼拝所など宗教的な施設の中に、人や動物の像や絵画などはありません。

(参考:イスラム教で禁止されていることは?【偶像崇拝・多神教・自殺・他殺・豚肉・酒ほか】

シーア派では事情が違い、初代イマーム・アリーや第三代イマーム・フサインの肖像画などが各家庭にも飾られています。

ムハンマドの生い立ち

ムハンマドは西暦570年、アラビア半島のメッカで生まれました。すでに父はなく、母も6歳の時に死亡。孤児として、部族の人々に育てられました。コーランには孤児をいじめることを戒める章句が多数ありますが、それも彼の生い立ちが関係していると言われています。

青年になったムハンマドは、シリアやイエメンへの隊商に加わります。当時彼は、アミーン(正直者)というあだ名がつくような誠実な商人でした。

結婚

25歳の時、最初の妻ハディージャ15歳年上)と結婚。彼女との間に6人の子供が生まれ、幸せな家庭生活を送っていました。

ハディージャが亡くなった後に10人の女性と結婚しますが、ハディージャ生存中は他の女性と結婚しませんでした。

イスラムでは男性は4人まで妻を持つことが認められていますが、これはムハンマドだけの例外規定です。

初めての啓示

ムハンマドが初めて神から啓示を受けたのは、西暦610年、40歳の時です。

当時、彼は自宅近くの洞窟によくこもるようになり、物思いにふけっていました。ある日突然「誦め」という天使ジブリールの声が聞こえます。「神の言葉(啓示)を伝えるので、それを声に出して読め」と。

以後、63歳で亡くなるまで、神の言葉が断続的に伝えられました。その言葉を一冊の書物にしたのがコーランです。(参考:コーランとは?日本人が知らない真実) 

さいごに

ムハンマドは数度結婚し、子供をもうけました。この点が西洋からは「宗教家らしくない」と批判されます。しかしイスラムでは信仰だけではなく、日常生活においても神の教えに沿って正しく生きる事が大切だと考えます。その意味で、彼は一般信徒の手本となるべき人物なのです。

★「ムハンマド イスラームの源流をたずねて

預言者ムハンマドの生涯を綴りながら、啓示が始まってからムハンマドの死までの20年間にどのように啓示が下されていったかを書いています。とても平易な言葉で書かれていて、コーランの引用も多く、イスラム教とコーラン入門書として最適です。

★『イスラム流幸せな生き方

中学生でもわかるようにやさしく書いたイスラム入門書です。世界でなぜイスラム教徒が増え続けているかがわかります。これ1冊でイスラムのイメージが変わります。

イスラムの基本*記事一覧

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