イスラムの神アッラー*唯一神・全知全能・全てのものの創造神
「アッラーを信じる」。これがイスラムの信仰の中心です。ムスリムとして生きるとはアッラーを信じることです
ムスリムの中には酒を飲んだり豚肉を食べたりする人もいますが、アッラーのことは固く信じています。
その神アッラーとはどんな神様なのか?日本でも神様と言いますが、日本の場合にはとても漠然としています。
しかしイスラムの場合には極めて具体的です。コーランには「神はどんな存在か」が繰り返し書かれているからです。
神アッラーとは、どんな存在なのか?アッラーを信じるとはどういうことなのか?それらをわかりやすくご紹介します。
「アッラー」とは?
アッラーはアラビア語で「神」のこと。正確には「唯一絶対神」で、英語の「ザ・ゴッド(神)」にあたります。
アッラーという名の神がいるわけではなく、「神」そのものがアッラー。
ですから「アッラーの神」という言い方は間違いです。「神の神」となってしまうからです。
アッラーとはどんな存在?
神アッラーには様々な特質があり、それらは「99の美名」としてコーランに記されています。そのうち特に重要と思われる点を5つご紹介します。
①絶対唯一
「神は唯一」と信じるのが、イスラムの重要な信仰箇条です。入信には「アッラーのほかに神なし」と宣言するのが条件です。
コーランには「アッラーと並ぶ者は他にまったくない」と、繰り返し強調されています。(代表的な章句は112章。この章はコーランの3分の1の価値があると言われています)
同じ一神教であるキリスト教、ユダヤ教に比べ、神の唯一性が徹底しています。
イスラムにおいて最も重大な罪が、多神教・偶像崇拝です。アッラーと他のものを同列に置いて拝んだり、アッラーの像を作って拝んだりすることです。(「シルクの罪」)
日本では「よろずの神」と言ったりしますが、イスラムではありえません。
②全知全能
「アッラーは全知全能である」。これもコーラン全体を流れる重要なテーマです。
「神は絶対有力、人間は無力。その全能の神を主人とし、人間をその奴隷とする」。これがイスラムの考え方です。
「奴隷」というと否定的なニュアンスがありますが、これは「全知全能で圧倒的な力を持つ存在に対し、愛し尊敬しながらもひれふさざるを得ない」といったイメージです。
その偉大な神に自分をゆだねて生きるため、ムスリムは心穏やかに生きられると考えるのです。
「全能」である神は、人間の行動もすべてご存じです。
「我らは人間を創造した者。人の魂がどんなことを私語(ささやいて)いるか、すっかり知っておる。
我ら(神)は人間各自の頸の血管よりも近くにいる」(50:15)
隠れて悪いことをやっても、神はちゃんと見ています。こっそりお酒を飲んでも、神はご存じ。自分が過去にやった悪いことで、すっかり忘れてしまったようなことも、神は知っています。
逆に人知れず良いことをしても、神さは見てくれています。
③すべてのものの創造主
アッラーはこの世の全ての物事を創った創造神です。
「アッラーは天と地のはじまりです。かれ(神)が万事を定めるとき、有れといえば即ち有るのです。」(2:117)
←すべてのものを「人間のために」創った
神が世界を創造し、全ての物事を創ったのは、人間に利益を与えるためなのです。人間がその自然界を利用するため。神様は人間を特別扱いしてくださっています。
天も地も、風も、水も、動物も、人間のためにアッラーがお作りになったもの。
地に花を咲かせるのも、人間の目を楽しませるため。夜をつくったのも人間を休息を与えるため。天に星をちりばめさせたのも、それで私たちの目を楽しませるため。
動物は私たちがそれに乗ったり、それを食べるため‥。
そう思えれば、この世は神の恵みだらけです。(この恵みを「神兆(アーヤ)」と呼びます)。それを思えば感謝しかありません。自分がいかに多くの恵みを得ているか、それによって幸せな気持ちになれる。
しかもアッラーはこの世を創って終わりではなく今現在も創り続けている。
朝日が登って日が沈むのも、アッラーの仕業。成功も失敗も、全て神様の思し召しです。
←未来も神が決めること
神が全てを創り、決めるのですから、未来も神が決めること。ムスリムが未来に言及する時は必ず「インシャー・アッラー(神が望めば)」と付け加えることになっています。
「インシャー・アッラーという言葉を付け加えないで、明日それをすると言ってならない」(18:23・24)
イスラム圏では「インシャー・アッラー」をしばしば耳にします。
「明日、○時に~で会おうね」と言えば、相手は「インシャー・アッラー」。
「神が望まないなら、来ないかもしれないの?」と日本人なら不安になりますが、本人はそんないいかげんな気持ちで言っているわけではありませんので、ご安心を。
④慈悲深い
アッラーは慈悲深い存在でもあります。
コーランの各章は「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」(ビスミッラーヒッ・ラフマーニッ・ラヒーム)という言葉で始まっています。
「ビスミッラー」:神の御名において
「ラフマーン」:慈悲あまねくて(アッラーの慈悲は被造物すべてにあまねく及んでいる)。
「ラヒーム」:慈悲深い(特にアッラーを信仰する者に注がれること)。
この言葉はスピーチを始める時、食事を始める時、本の出だしなど日常でも頻繁に使われます。
アッラーは厳しさと優しさの両方を備えたお方。悪を行うものには厳しい懲罰を与え、あとで懺悔して善に立ち返ろうと努力する人には、限りなく許してくれます。
「自分の魂に背いて過ちを起こしたわがしもべたちよ、それでもアッラーの慈悲に絶望してはならない。
アッラーは本当にすべての罪を赦される。彼は寛容にして慈悲深くあられる。」(39:53)
アッラーを讃え、アッラーの慈悲にすがる心こそが、イスラム信仰の真の姿です。
⑤人間の近くにいる
「我らは人間を創造した者。人の魂がどんなことを私語(ささやいて)いるか、すっかり知っておる。
我ら(神)は人間各自の頸の血管よりも近くにいる」(50:15)
イスラムでは神父やお坊さんのように、神と自分をつなぐ特別な人は存在しません。代わりに神は自分と常に一体なのです。
直接そばにいて、その間に神父や僧侶が入る余地はありません。
一方でこれは大変なことです。社長がすぐ身近にいるようなものだからです。
ムスリムの生活は、常に神とともにあるのです。
アッラーを信じる・イスラムの信仰とは?
このように神アッラーは様々な特質を持ちます。アッラーを信じるとは、その存在を信じるだけでなく、これらの特性を信じることです。
その信仰は「畏れ」「感謝」という2つの態度になって現れます。
「畏れ」‥世界を創造し、終末を引き起こし、最後の審判の厳正な裁き主である神を畏れること
「感謝」‥世界の全てのものを創造し、特に人間のために全てを創造した神を崇め、感謝すること
つまりイスラムの信仰イコール「畏れ」・「感謝」と言えます。
神を信じることと謙虚さ
全知全能で万有の創造主であり、人間の力を超えた偉大な存在は、人間が謙虚になることを教えてくれます。
人間がどんなに偉業をなしとげようとも、それはアッラーの御業にはかなわない。
どんなに強大な軍事力を持ち、欲しいものはすべて買い占める富を持ち、情報網をすべて張り巡すことができても、所詮それは人間のはかないわざ。
その力や富を与えてくださったのは、アッラーである。ムスリムはこのように考えます。
人間はつい傲慢になりがちですが、アッラーを思うことで自分を戒め、謙虚さを取り戻すことができるのです。
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