「アッラーを信じる」。これがイスラムの信仰の中心です。
ムスリムとして生きるとはアッラーを信じること。そう言っても過言ではありません。
ムスリムの中には酒を飲んだり豚肉を食べたりする人もいますが、そんな彼らもアッラーのことは固く信じている。
では、アッラーとはどんな存在なのか?私たちの考える「神」と何が違うのか?
アッラーを信じるとは、具体的にはどんなことなのか?
それらをわかりやすく紹介します。
アッラーとは?
アッラーはアラビア語で「神」のこと。正確には「唯一絶対神」です。英語の「ザ・ゴッド(神)」にあたります。
アッラーという名の神がいるわけではなく、「神」そのものがアッラーです。
ですから「アッラーの神」という言い方は間違い。これでは「神の神」となってしまうからです。
アッラーとはどんな存在?
アッラーには様々な特質があるとされます。そのうち特に重要なものを5つご紹介します。
①絶対唯一
「アッラーは唯一である」と信じること。これがイスラムの重要な信仰箇条です。
イスラムにおいて最も重い罪は「シルクの罪」。これは「アッラーと他のものを同列に置くこと」。アッラーの像を作って拝んだりすることも、シルクの罪にあたります。
コーランには「アッラーと並ぶ者は他にまったくない」が、繰り返し強調されています。
(代表的な章句は112章。この章はコーランの3分の1の価値があると言われています)
この点、同じ一神教であるキリスト教、ユダヤ教に比べて、神の唯一性が徹底しています。
イスラムに入信するには「アッラーのほかに神なし」と宣言するのが条件です。
②全知全能
「アッラーは全知全能である」。これもコーラン全体を流れる重要なテーマです。
人間の行動も、神はすべてご存じです。
「我らは人間を創造した者。人の魂がどんなことを私語(ささやいて)いるか、すっかり知っておる。
我ら(神)は人間各自の頸の血管よりも近くにいる」(50:15)
これは日本でいう「お天道様が見ている」に近いかもしれません。
「神は絶対有力、人間は無力。その全能の神を主人とし、人間をその奴隷とする」。これがイスラムの考え方です。
奴隷というと否定的なニュアンスがありますが、全知全能であり人間の理解や能力をはるかに超えた圧倒的な存在に対し、愛し尊敬しながらもひれふさざるを得ない、そんな感じです。
その偉大に自分をゆだねて生きるために、(簡単に言えば)ムスリムは心穏やかに生きられると考えるのです。
③あらゆるものの創造主
アッラーはこの世の全ての物事を創った創造神です。
「アッラーは天と地のはじまりです。かれ(神)が万事を定めるとき、有れといえば即ち有るのです。」(2:117)
生とし生けるものすべて、天も地も、風も、水も、動物も、人間のためにアッラーがお作りになったものと考えます。
この世のすべてをイスラムでは「神兆(アーヤ)」と呼びます。
人がそういう目であたりを見渡せば、いたる所に神兆があると言えます。
しかもアッラーはこの世を創って終わりではなく今現在も創り続けている。
朝日が登って日が沈むのも、アッラーの仕業。成功も失敗も、全て神様の思し召しです。
未来も神が決めることです。
ムスリムが未来に言及する時は必ず「インシャー・アッラー(神が望めば)」と付け加えることになっています。
「インシャー・アッラーという言葉を付け加えないで、明日それをすると言ってならない」(18:23・24)
イスラム圏に行くと、「インシャー・アッラー」をしばしば耳にします。
「明日、○時に~で会おうね」と言えば、相手は「インシャー・アッラー」。
「神が望まないなら、来ないかもしれないの?」と日本人なら不安になりますが、本人はそんないいかげんな気持ちで言っているわけではありませんので、ご安心を。
④慈悲深い
アッラーは慈悲深い存在でもあります。
コーランの各章は「慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において」(ビスミッラーヒッ・ラフマーニッ・ラヒーム)という言葉で始まっています。
「ビスミッラー」:神の御名において
「ラフマーン」:慈悲あまねくて(アッラーの慈悲は被造物すべてにあまねく及んでいる)。
「ラヒーム」:慈悲深い(特にアッラーを信仰する者に注がれること)。
この言葉は、コーランの中だけでなく、スピーチを始める時、食事を始める時、本の出だしなど日常で頻繁に使われます。
アッラーは厳しさと優しさの両方を備えたお方。悪を行うものには厳しい懲罰を与え、あとで懺悔して善に立ち返ろうと努力する人には、限りなく許してくれるお方。
「自分の魂に背いて過ちを起こしたわがしもべたちよ、それでもアッラーの慈悲に絶望してはならない。
アッラーは本当にすべての罪を赦される。彼は寛容にして慈悲深くあられる。」(39:53)
アッラーを讃え、アッラーの慈悲にすがる心こそが、イスラム信仰の真の姿です。
⑤人間の近くにいる
「我らは人間を創造した者。人の魂がどんなことを私語(ささやいて)いるか、すっかり知っておる。
我ら(神)は人間各自の頸の血管よりも近くにいる」(50:15)
イスラムでは神父やお坊さんのように、神と自分をつないでくれる特別な人は存在しません。
神は自分と常に一体。直接そばにいるのであり、その間に神父や僧侶が入る余地はありません。
一方で大変なこともあります。社長がすぐ身近にいるようなものだからです。
日本の会社では社長に直接とがめられることはありませんが、イスラムではすぐ近くに全知全能の神がいるから、何一つごかかせません。
ムスリムが日本で酒を飲んでも、他の人はわからないが、神はちゃんと見ています。
ムスリムの生活は、常に神とともにあるのです。
アッラーを信じるとは?
このように神アッラーは様々な特質を持ちます。そしてアッラーを信じるとは、その存在を信じるだけでなく、これらの特性を信じることでもあります。
そしてその信仰は「畏れ」「感謝」という主に2つの態度になって現れます。
「畏れ」‥世界を創造し、終末を引き起こし、最後の審判の厳正な裁き主である神を畏れること
「感謝」‥世界の全てのものを創造し、特に人間のために全てを創造した神を崇め、感謝すること
神を信じることが人間の謙虚さにつながる
神を信じることは、人間が謙虚になることにつながります。
全知全能で万有の創造主であり、人間の力を超えた偉大な存在は、人間が謙虚になることを教えてくれます。
人間がどんなに偉業をなしとげようとも、それはアッラーの御業にはかなわないということを。
どんなに強大な軍事力を持ち、欲しいものはすべて買い占める富を持ち、情報網をすべて張り巡すことができても、所詮それは人間のはかないわざでしかない。
その力や富を与えてくださったのは、アッラーである。ムスリムはこのように考えます。
人間はつい傲慢になりがちですが、アッラーを思うことで自分を戒め、謙虚さを取り戻すことができるのです。
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