2016-09-20

働いている人は働かない人より偉いのか?

エジプトの看板アート エジプトのカフェ

エジプトのカフェで昼間からまったりしている男性たち。

エジプトやモロッコなどアラブの国へ行くと、昼間からカフェでまったりしている男性がいます。

「この人たち、いったい何やってるんだろ?」


「働かなくて、大丈夫なのか?」「怒られないのか?」


よくそう思ったものです。

仕事がないからカフェでまったり、という若者が多いのも事実です。


しかし多くは、リタイアした人、店やホテルのオーナーで職場に行く必要がない人など、です。

不思議なのは、そういう一見「ぶらぶら」している人が、まったく引け目を感じてなさそうなことです。

日本なら「大の大人が、真っ昼間からそんなことしてていいのか!」と白い目で見られそうです。

ところで「大人は働いているべきだ」という価値観は果たして正しいのでしょうか?

「働いている人は偉い」「働かない人は偉くない」のでしょうか?

そんな「当たり前」は疑ってみる必要があります。


労働を始めて不幸になった

そもそも「働いている人が偉い」は人類不変の価値観ではありません。

人類が登場して以来の何万年間の長い歴史の中で、ここ2〜300年間のごくごく短い間の価値観にすぎません。

太古の昔から人は1日に2~3時間だけ動物を獲るために(しかたなく)働き、あとはぶらぶらしたり昼寝したり遊んだりして暮らしていたそうです。

今は時代が違う?

しかし東南アジアなどに行けば、今も昼間からぶらぶらしている男はたくさんいます。

経済的に許されていて他人の迷惑にならなければ、働かないのは悪いことではありません。

労働を始めたばかりに人間は不幸になったのではないかと私は思う。

世間は働くことに生きがいを見出せ、と煽るが、真に受けない方が良い。

そうできない人は能力が足りないという言説は単なるフィクション。』

ナマケモノに意義がある」(池田清彦)

さらに本では、こう言い切っています。

人間の生得的な性質としては、1日2~3時間働いて、あとは怠ける方が自然。

「今のサラリーマンのように7~8時間働いて残業までしているのは狂気の沙汰。」

もし遊んでいるだけで一生暮らしていけるとしたら、こんなに素晴らしいことはありません。

日本人はよく「仕事が生きがい」と言います。

しかし働くなら、ロバでもできます。

なのに仕事が生きがいなんて、悲しくありませんか?

ジェントルマンとは、働かなくても生きていける人のことです

仕事をしても天国へ入れない

イスラムでは仕事に価値を置いていません。

イスラム教の基本的で大切な義務に、「六信五行」があります

よく知られる「礼拝」や「断食」もこれに含まれます。

この六信五行に「仕事」は含まれていません。つまり労働は信者の義務ではないのです。

もちろん現代人は誰でもお金のために働きます。

しかし人生で最も大切なものとは思っていません。

仕事ぶりはかなりゆるく、仕事中におしゃべりしていたり、お茶を飲んでいたり。奥さんと長電話していたりもします。

そして定時にはさっさと帰ります。

仕事中も礼拝の時間がきたら中断してやります。

効率が落ちるのでは?と日本人なら思いがちですが、仕事の効率より礼拝の方が人生で大切なのです

仕事を一生懸命やっても天国へ行けないが、義務である礼拝をサボっていたら、天国が遠のいてしまいます。

働く人より物乞いの方が偉い


イスラム社会では働いている人より貧しい人の方が威張っています。

上記の六信五行の中に貧者への喜捨が義務付けられており、それを行うことで天国へ行けるとされています。(参考:イスラムの喜捨ザカートとサダカとは何か?

つまり物乞いは人々を天国に導く存在。

彼らがいなければ、人々は天国へ入るチャンスが1つ減ってしまいます。

 

私の友人にモロッコの失業青年がいます。彼はいつもタバコ1本からコーヒー、ランチにいたるまで、いろんな人に無心しながらも堂々としています。

人から施しを受けることに、全く恥じ入っていないのです。

なぜなら「施しをするチャンスを与えてやった」側だからです。

もちろんイスラム圏にも真面目に働くモーレツサラリーマンや非常にリッチな人はいます。

が、そういう人は貧しい人にたっぷり喜捨をしています。

イスラムでは稼ぐばかりで与えない人は、信者としての義務を怠っており、地獄へ入る運命なのです。

 

「働かなくても、ただ生きているだけでも価値がある」と思わせてくれる社会は、なんと人間的でしょう。


 

「社会の役に立つ人間は立派な人間である。存在する理由がある。社会の役に立たない人間は存在するわけがない、という考えかた。あるいは強い人間、有名の人間、豊かな人間だけをもてはやす時代の風潮を見ていますと、私たちは最近の犯罪が社会の弱者に向けられることが多いのに、改めて気づきます。

大阪でもホームレスの老人を道頓堀の川に放り込んで死なせるという事件がありましたが、社会の弱い部分に向けて暴力が振るわれる傾向が、少しずつ大きくなってきているということを深刻に受け止めざるを得ないわけです。

ぼくらは、人間は努力して世のため人のために尽くし、そして名を上げ、という明治以来の出世主義そのものをストレートではないにしろ受け止め、何かやるということを大切に思って育ってきた世代です。

しかし、今あらためて考えるとき、何もやらなくてもよい、失敗した人生であってもよい、それはそれで、人間として生まれてきて、そして人間として死んでいく。その事において、まず存在に価値があるのだ、と思うことがある。」(『大河の一滴』)

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ナマケモノに意義がある」(池田清彦)
知らず知らず「あたりまえ」と思っていた常識が覆される体験ができる本。

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