イスラムの喜捨ザカートとサダカとは何か?

イスラムのザカート

イランでは路上に喜捨箱が用意されていて、道ゆく人が自発的に喜捨をしている。

喜捨とは貧しい人に施しをすることです。

イスラムの喜捨は2種類です。

①義務の喜捨(ザカート) 

②自発的な喜捨(サダカ)

 

ここでは①と②について詳しく説明し、合わせて「イスラムの喜捨の特徴」もご紹介します。

イスラムの喜捨「ザカート」と「サダカ」とは?

イスラムのザカートとサダカ

パキスタン・カラチの食堂。この店では毎日無料で食事を提供していて、食事時になると大勢の人が店の前に集まる。

①ザカート(義務の喜捨)

・六信五行の1つ

イスラム教徒には「六信五行」という基本的な義務あり、ザカートはその中の1つです。

具体的には、1年間の収入のうち決まった割合を喜捨します。

(参考:六信五行とは?

・貧しい人にザカートの義務はある?

家族が食べていくのがやっとの人はザカートの義務はありません。

イスラムでは苦行を強いないからです。

②サダカ(自発的な喜捨)

自発的に施しをすること。たとえば路上にいる物乞いにお金を施したり、食事を提供したりすることです。

他にもサダカには多様な形態があります。

裕福な人がレストランにお金を渡し、店がそのお金で貧しい人へ食事を提供するなどです。パキスタンではこれが盛んです。

カラチ市内の多くの食堂では無料の食事サービスを行なっていて、食事時には、店の前に長い行列ができます。貧しい人は毎日3食タダで食べられのです。これは助かりますね。

カラチには「バーンズセンター」という火傷専門の病院があり、入院費、食費、薬代などはすべて無料。

市内には敬虔なビジネスマンが多く、それらの寄付でまかなわれています。これもサダカの1種です。

 

イスラムの喜捨の特徴

イスラムの結婚式

エジプトの結婚式は新婦の家の前などで行わレることが多い。これは周囲の人に2人が結婚することを伝え、姦通の間柄ではないことを知らしめる意味がある。結婚式は飛び入り参加が歓迎されている。

イスラムの喜捨と、その他の喜捨は何が違うのか?

貧しい人が乞うのは「当然の権利」

上に書いたように、喜捨は信者の義務ですから、それを受け取るのは当然の権利です。

その根底には、「この世のすべての物は神のもの」という考えがあります。

裕福な人は単に神から富を預かっているだけ。その中にはもともと貧しい人たちの権利が含まれている。

それを喜捨によって貧しい人に返す。

これが喜捨の意味です。

貧しい人が喜捨を受け取るのは、当然の権利。だから物乞いは堂々としています。

物乞いは相手を「天国へ導く」存在

喜捨する人は善行を行なっていることになり、それをすることで天国へ一歩近づけます。

つまり喜捨を受け取る側は相手に「善行を与えるチャンス」を与えたということ。

その相手を「天国へ導く存在」です。むしろ「感謝される側」。全く恥じる必要は全くありません。

実際に、コーランには「物乞いに施しをする人は天国へ入る」と何度も書かれています。

まったく物乞いに都合の良い社会ですね。

堂々とした物乞いたち

物乞いは感謝される側ですから、驚くほど堂々としています。その姿には本当に驚かされます。

エジプトなどではレストランで食事していると、少し小柄な男性(時には女性)がぶらりと入ってくることがあります。

そして店主から食事を受け取って出ていくので、テイクアウト客かと思っていたら物乞いだったという事がよくあります。

店主も相手の様子などで「物乞いだ」とわかるようです。

他に私が体験したものでは、こんな事例があります。

・エジプトで結婚式の家に現れた物乞い女性

友人の結婚式当日、その家に集まって昼食をごちそうになっていました。

そのとき1人の女性がふらりと入ってきて、食事の席についたんです。そして他の人と一緒に食事をし、お茶を飲んで帰って行きました。

私はてっきり親戚か誰かと思っていたら、後で家の人に聞くと「物乞いだ」とのこと。

彼女のふるまいがあまりにも自然で堂々としていたので衝撃を受けました。

実は結婚式は物乞いにとって稼ぎ時シーズンでもあります。

花嫁の母なら、物乞いに施しという善行をすることで、神が娘の結婚生活を幸せにしてくれるよう願うことでしょう。

そのため、物乞いはどこかで結婚式があると聞くと、そこへ向かうのです。

ちなみにこの物乞い女性は、友人が住む町の隣に住んでおり、物乞いのためにしばしばミニバスに乗って友人の町にやってきていたとのこと。こうなると完全にビジネスです。

 

・イランのホテルに現れた物乞い女性 

外出先からホテルに戻ると、ロビー横のレストランでチャドル姿の女性が食事をしていました。

従業員が女性を指差して、私に言いました。「この女性を助けてやってくれ」。

つまり「お金を渡してやってくれ」ということ。彼女は物乞いで、食事はホテルの「施し」だったのです。

従業員に言われたので、私はしかたなく少しお金を渡しましたが、当然お礼を言われるものと思っていたら、彼女は額に不服だったようでムッとしていました。

彼女はよくそのホテルに出入りし、お客から金銭を受け取っているそうです。

とにかくその女性の「もらって当然」の態度に、「貧しいことは恥ずべきことではない」と目からウロコが落ちました。

 

イスラム社会で「施しは文化」

喜捨が宗教的義務として定められているイスラム社会では、喜捨精神が一種の文化になっているように思います。

困った人が助けを求めるのが容易で、また求められた人は進んで助ける。

つまり「助け合い」精神が行き渡っているのです。

困ったら助け合う

モロッコの私の友人の例ですが、彼女の母親は長らくガンを患っていました。

向こうでは健康保険などありませんから、庶民にとってガンの治療費は高額です。

そのため近所の人がお金を出し合い、彼女の母親の治療費の一部を負担していたそうです。

メイドを雇う=施し

パキスタンなどでは、中流以上の家庭ではメイドを雇うことが少なくありません。

妻が専業主婦でメイドを雇う必要のない家庭でも雇っていることが多い。これも一種の喜捨です。

仕事を与えてあげることで、路上生活におちいってしまいそうな人を救うことができるからです。

 

「助けて」と言いやすい社会

イスラムの男女交際

イランの若者たち。川辺でバーベキューを楽しんでいる。

以前エジプトでタクシーに乗ったら、運転手が悲しそうな顔で話し出した。

「私の母が深刻な病気で入院しています。莫大な医療費がかかる。どうか助けてください」。

医者の診断書のようなものを見せられました。

赤の他人にまで、そのような要求をすることに驚きました。

あちらでは「困ったのも神の仕業。自分のせいではない」と考えます。

助けを求めるのは、それほど恥ではないのです。

 

さいごに:自分に与えてくれた物乞い

これは読売新聞カイロ支局長をしていた北村文夫さんに聞いた話です。

当時住んでいたカイロの自宅近くに、路上生活者の男性が暮らしていたそうです。

彼には両足がなく、車のついた台に乗って、いつもその路地を移動していました。

北村さんは、通りがかりにいつも彼に30円ほどを与えていたそうです。

ところがある日、大きなお金しか持ち合わせがなかった。

それで男性に「今日、私は貧乏だ(だから、与えられるお金はない)」といったそうです。

すると彼は胸に手を当て、「あなたにアッラーの思し召しがありますように」といい、北村さんに、タバコを3本くれたそうです。

自分がたとえ裕福でなくても、自分より貧しい人がいれば、当然のように与える。

路上で生活するその男性は、「持てる者が持たざる者に与える」というイスラムの理念を、ごく当たり前のように実践したのでした。

 

「働かざるもの食うべからず」という言葉が日本にはあります。

「稼ぐ者が偉い」みたいな風潮も。

しかし自分のせいでなく、どうしようもなく貧困状態に陥ってしまう人もいます。

そういう人が責められず堂々といられるとしたら、この方が生きやすい社会だと言えるのではないでしょうか? 

 

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