イスラム教徒のジハードとは?ISが呼びかけるジハードは正当化されるのか?

イスラム教のジハードとは

オマーンの男性たち。ほとんどのイスラム教徒は温厚な人たちで、ISなどの暴力的行為を支持していない。

ISがジハードを呼びかけて人を殺したりしていますが、イスラムは過激な宗教なんですか?

ジハードとは何でしょうか?わかりやすく教えてください。

そんな疑問に答えます。

最初にジハードについてまとめます。

<ジハードに関する誤解>

・ジハードの本来の意味は「努力・奮闘

・ジハードには「大ジハード」と「小ジハード」がある。

「大ジハード」は努力・奮闘など精神的修養を、「小ジハード」は戦闘的なジハードを指す。

・戦闘的ジハードの戦闘は、防衛に限られる。

 

ジハードとは?

ジハードの本来の意味は「努力」

本来の意味は「努力」で、イスラムの教義を実践する上での努力を指します。

コーランでは「奮闘努力」「奮闘」と訳されています。

 

ジハードの語源

コーランの中で、「神の道において奮闘せよ」とあります。

この「奮闘」を意味するアラビア語の「ジャハダ」がジハードの語源です。

 

ジハードには「大」と「小」がある。

ジハードには「大」と「小」があります。

①「大ジハード」=自己の信仰を深める内面的努力、精神的修養

②「小ジハード」=ウンマ(イスラム共同体)が傷つけられた時、そのメンバーを守るために武器をとって戦うこと。

つまりジハードには聖戦も含まれるが、それは「防衛」の場合に限られています。

預言者ムハンマドも精神的修養を「大ジハード」、戦闘行為を「小ジハード」として奨励したと伝えられています。

この「大・小」をもう少し詳しく説明します。

①「大ジハード」とは?

自己の信仰を深める内面的努力、精神的修養をさします。宗教的な修行や道徳的な善行などです。

結婚して家族を養うために真面目に働くことも含まれます。

ムスリムが結婚して家庭を育むことがイスラームで奨励されているからです。

また両親にやさしくすること、自分の目標に向かって努力することもジハードです。

自分の言動が相手を傷つけることにつながるのなら、それをあえてしないこともジハードになります。(「日本のイスラーム」)

②「小ジハード」が意味する戦闘とは?

異教徒が侵攻してきた場合の防衛に限られます。

「ジハードとは異教徒の攻撃からの自衛に限定される戦闘行為だからです」

(「イスラーム、生と死と聖戦」)

コーランにも「こちらから戦いを仕掛けてはならない」「相手が止めたらこちらも止めろ」とあります。

「汝らに戦いを挑む者があれば、アッラーの道において堂々とこれを迎え撃つがよい。

だがこちらから不義をしかけてはならぬぞ。」(2章:190節)

「騒乱がすっかりなくなる時まで、宗教がまったくアッラーの宗教ただ一筋になる時まで、彼らを相手に戦い抜け。

しかしもし向こうが止めたなら、汝らも害意を捨てねばならぬぞ。悪心抜きがたき者どもだけは別として。」(2章193節)

 

ISなどが呼びかけるジハード

これまで見てきたように、本来のジハードとは、あくまで敵が武力を持って攻めてきた時に、防衛のために武器を持って戦うことです。

ですからISなどがジハードと称する行為は本来の正しいジハードではありません。

 

 

しかし過激な武装集団が、その行動を正当化するために「ジハード」(聖戦)を掲げているにすぎません。

本来のジハードの思想を悪用しているのです。

 

ただ悲しいかな、世界の全てのイスラム教徒がコーランを読み、イスラムを正しく理解しているわけではありません。

「ジハード」はイスラームの六信五行の中に含まれないものの、ムスリムの個人的義務とされます。

そのため時には、「ジハード」と聞いてISなどの活動に盲目的に参加してしまう人もいます。

 

 

イスラム教は、非イスラム教徒に対して強制的に改宗を求めることもしません。

預言者ムハンマドの時代のイスラム共同体は、布教は積極的にしないものの、イスラム世界を広げるために努力する必要がありました。

これがジハードになっていったという歴史的経緯があるものの、本来の意味ではジハードではありません。

預言者ムハンマドの死後は、歴史上、正式な意味での戦闘的ジハードが起こされたことはありません。(参考:「日本のイスラームとクルアーン」)

 

ジハードについて知りたい方の参考になれば幸いです。