2019-08-30

イスラムは砂漠の宗教?【都市の商人の宗教】

「イスラムは砂漠の宗教」とイメージしている方も多いのではないでしょうか?

実はイスラムはきわめて都市的・商業的宗教です。だからこそ現代都市の商業社会に生きる日本人にも受け入れやすい側面があるとも言えるのです。

イスラムが都市の商業的な宗教である根拠を3つご紹介します。

預言者ムハンマドは砂漠の価値観を否定

預言者ムハンマドは遊牧民ではなく商人でした。そして砂漠の遊牧民の価値観に真っ向から対抗したのです。

その砂漠の価値観の1つは「部族至上主義」です。人間の価値は、部族とのつながりや部族の血筋によって決まるという考え方です。

個人として価値があるのではなく、あくまで部族の一員として、部族との地のつながりにおいて価値を認められる。

砂漠の厳しい環境の中では、誰しも一人では生きらず、共通の祖先を持つ部族の血縁集団に属す必要があったからです。

この部族主義に対し、ムハンマドは「人間の価値は信仰によって決まる」と主張。個としての人間が、唯一の神と一対一の関係で向かい合う個人主義を主張しました。

2つ目の砂漠の価値観とは、「自主独立自尊の精神」です。自分こそ主人で他の誰にも従わない。己が最も尊いとする高慢な態度。

これに対してムハンマドは、唯一の神こそ人間の主人であり、人間はその奴隷に過ぎないと主張。砂漠の人間の誇りは、神に対する人間の驕りであるとしたのです。

イスラムは商業都市メッカで生まれた

イスラムが生まれ、発展したのは当時の商業都市メッカとメディナでした。

当時のメッカの住民は都市の商人でした。そして彼がイスラム共同体を建設したメディナも、多くのユダヤ人が商人として住んでいました。

コーランには商業言葉が多く使われている

「聖典」のイメージとは裏腹に、コーランには商人の言葉、商業用語が多用されています。たとえば、こんな具合です。

現世における人間の行為=「稼ぎ」
善行を行うこと=「神に金を貸す」
宗教あるいは信仰=「神との取引」「契約」
来世における報い=「稼ぎに対する支払い」

なぜ商業用語が多用されるのか?イスラムは信仰を「アッラーとの契約」ととらえているからです。つまりイスラムの考え方が根本的に商業的なのです。

「不信仰のやからは神のお導きをうりとばして迷いを買込んだ人々、だが、彼らはこの商売では損をした
(2:15)

(←「商売で損をする」とは「来世の救いにあずかれない」の意味)

「アッラーに素晴らしい貸付をする者はおらぬか。何倍にもしてそれを返していただけるぞ。アッラーはその御手をすぼめるのも、ひろげるも自由自在」」
(2:246)

(←「素晴らしい貸付」とは、この世で善行に励むこと。その結果、来世で何倍もの報いが与えられる)

(←その御手を「すぼめる」とは、金を出し惜しむこと、「ひろげる」とは気前よく出すこと)

「アッラーは天上の楽園と引き換えで、信徒たちから彼ら自身とその財産とをそっくり買い取り給うた。‥そういうお方を相手方として結んだこの取引をありがたいと」(9:112)

(←前半は、「信徒たちが神に絶対服従し、生命と財産をなげうってイスラムのために戦ったことに対する報いとして、来世に置いて天国に入れられる」とうこと。

(←「神を相手方として結んだ取引」とは、人間が神と結んだ契約としての信仰をさす。

契約は必ず履行されるべきもの。つまり人間が善行を履行すれば、アッラーは必ずやそれに報いてくれる(天国に入れてくれる)。

こういう信頼が信者の心の中にある。だからこそムスリムたちは日々善行に励むのです。

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