広い世界を見ないと生きている意味がない?海外に出て知る「狭い世界」の重みと大切さ

「毎日家と会社の往復だけ。これでいいんだろうか?」
「育児が忙しくてどこにも行けない。どんどん世間から取り残されているみたいで‥‥」

‥‥そんな風に思って焦る気持ち、誰にでもあるかもしれません。私もです。

私は時には海外に行きますが、ふだんは家で仕事をしています。朝起きてパソコンに向かい、食事を作り、夜は寝る‥単調な毎日。誰とも話をしない日もあります。

そんな時に思います。
「物を書く事を仕事にしている以上、もっと違った面白い体験をする必要があるのではないか?」

どんどん外に出て行って、積極的に交友関係を広げるのが良い。
それが今の世間の風潮です。

でも果たしてそうなのでしょうか?

みんな狭い世界で生きている

私は大学を卒業してOLをしたのち、写真の仕事をしたいと思い、テーマを探しにアジア・アフリカを放浪しました。もう20年以上も前のことです。

その時にイスラムというテーマに出会ったのですが、それについてはここでは詳しく述べません。

タイから陸路で西へ向かい、様々な国を通過しました。
そして10ヶ月後にエジプトにたどりつき、(ここに住みたい)と思ったのです。

それはエジプトの魅力のせいもあったのですが、旅に疲れてしまったのです。
疲れたというか、「旅をする意義をこれ以上感じなくかった」のでした。

「結局人の暮らしって、どこでも一緒なんだな」
そんなふうに感じていたからです。

国が変われば風景や食べ物は変わる。でも暮らしの基本は変わらない。

朝起きてご飯食べて寝る。
誰かを好きになり、家族を作り、そして死んでゆく。

‥‥そんなことがわかってしまった以上、これ以上旅をする意義があるのだろうか?とも思ったのです。

もう一つ悟ったことがありました。
「みんな狭い世界で生きている」

生まれた土地を出ないで一生を終える人が、世界の中ではほとんどです。
では、それで退屈なのかか? 不幸なのか?
絶対に、そんなことはないでしょう。

その狭い世界の中で、家族との喜びや不満、明日の仕事のことや老後の不安の事などを考え、喜怒哀楽に満ちた暮らしをしている。

もしかしたら、世界を転々と移動している自分以上に濃密な毎日を過ごしているかもしれない。

家族のつながりが強いイスラム圏の人々は、むしろ今の日本人以上に豊かで幸せな暮らしをしているように感じられてなりません。

生まれ育った町から出ないで一生を終える人生と、世界を一周する人生、
どちらが充実しているかは、簡単には答えが出ない問題です。

もちろ広い世界を見ることに、意義がないとは全く思いません。できることなら、広い世界を見た方が良い。
そこで日本のことが見えてくるからです。

「特別な1日」を目指さなくてもいい

その後しばらくしてから、私はエジプトの砂漠で一人で遊牧生活を送るサイーダと一緒に暮らすようになります。

彼女はラクダ7頭連れて、毎日砂漠を移動しながら暮らしています。

砂漠の暮らしは絵に描いたように単調な日々です。

朝日が登る前に起きて、お茶を飲んだら動物の放牧に出る。

昼になればパンを焼いて食べて、昼寝して、涼しくなったら再び放牧に出て、日が暮れたら寝る‥。

彼女は首都カイロに行ったことがないばかりか、近くの町に行ったのも数えるだけ。
ラジオでたまに海外のニュースを聞きますが、それも「電池がもったいないから」とごくたまにしか聞きません。

いわば、すごく「狭い世界」で生きている。

そんな彼女と暑い日中木の下で昼寝をしながら、青い空を見上げてよく思ったものです。
「ああ退屈だなあ。こんな単調な毎日で、生きている意味ってあるんだろうか」(彼女にはたいそう失礼ですが)

ある日、彼女が朝食のパンを焼きながら、何気なく言った言葉が忘れられません。

「見て。山のうえから太陽が顔を出す位置は、毎日少しずつ変わるんだよ」

「毎日同じパンを食べてもね、焼き具合はその日その日で変わるから、ぜんぜん飽きないんだ」

私はその時、それが人生の本質ではないかと思ったのです。

身近な暮らしの中に、いかに喜びや楽しみを見出すか

彼女と暮らすうちに、鈍い私にもわかりました。人生は単調な毎日の繰り返しだということ。

明くる日も明くる日も同じことを繰り返す。それが生きるということだ、と。

べつに「特別な今日」、「特別な明日」をめざさなくともいい。
たいそうな目標などいらない。
それでも、生きている価値がある。

そう思えたら、とても気が楽になったのです。

一見単調な毎日でも、その中にふとした喜びや楽しみを見出す感性があれば、それは違った毎日にあります

そして結局この感性がなければ、いくら広い世界に出たとしても、あまり意味はないのではないか。

人間の基本は自分の身の回りの狭い世界にある。

その狭い世界をないがしろにして、いくら広い世界を見ても意味がありません。

簡単に国境を越えられる今だからこそ、そこで何をみるのか?が問われると思います。

最後に。作家の山本文緒さんの「かなえられない恋のために」という本の中に、とても心を揺さぶられる文章がありました。

彼女は作家という職業柄、毎日家で仕事をしています。
そのため一時は「自分はすごく狭い世界で生きている」と、ひどく落ち込んだことがあるそうです。

「物を書く事を仕事にしている以上、もっと広い世界に出ていろんなものを見なければ、この仕事を続けていけなくなるのではないか」と。

ところが、海外の色々な場所を旅して、この考えが変わったそうです。

「外国に行ったときに、そうでないんだと気づいた。皆狭い世界で生きているのだと。その狭い世界で一生懸命生きていて、喜びや不満や明日の仕事のことや老後の不安の事なんかを考えているのだと。
ひとりの人間が経験できる出来事はとてもかぎられている。世の中には何カ国語も操り、世界を飛び回っては偉業をなしている人間もいるけれど、それはごく少数の才能と体力と使命感に恵まれた人だけなんだ。
誰だって自分の手の届く範囲でしか生きていない。それは恥ずかしい事でも悲しい事でも何でもないのだ。短い一生のうちに関わることができるほんの少しの人間、ほんの少しの仕事、本の少しの本。それらをないがしろにして、何ができるというのだろう。」(「かなえられない恋のために」

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