棄国子女。著者(女性)が日本で心を病み、再生をかけて南米に旅に出て、2年以上南米大陸を放浪した記録が書いてあります。
不幸せは自分の頭が作りだす
中南米には、食べられないためにゲリラになる男性、娼婦になる女性がたくさんいるそうです。なのに、自分が幸せであると感じている人が、日本よりもはるかに多い。
彼らにとっては、「今生きている」それだけで、すでにありがたいことだから。
でも日本では、生きているなんて当たり前。「ありがたい」と感じる感覚すら、ない。十分に満ち足りているために、ヒマをもてあまして不幸になってしまう人が多い。
衣食住がたりてできたヒマに教育を受けた頭で、もう十分に幸福なはずなのにわざわざ絶望する。本当は絶望なんかどこにもない。それは思考する余裕が作りだした幻影にすぎないのだ。日本という先進国に蔓延する贅沢な不幸なのである。
ヤマノミ族に心を病む人がいないわけ
彼らはジャングルで狩りをし、村の皆がおなかいっぱいになるだけの食糧が調達できたら、その日の仕事は終わり。
あとは、昼寝したり、友人たちと談笑したりしてすごす。
毎日その繰り返しです。
こういう暮らしなら「誰も精神を病んだりはしないのではないか」と著者は書いています。ただ生きていることだけで、満足しているから。
食べること。生殖すること。生きるということはたたったそれだけなのだ。・・(途中略)・・・たくさん子どもを生み育て、毎日家族と仲間をおなかいっぱいにすることだけを考えて生きて行ければ、どれだけ幸せなことだろう(153ページ)
私や周囲の人を見ても、とにかく「生きる目標」「生きる意味」を見つけようと躍起になっている。
幸せとは?を考えない
私はエジプトの一人で砂漠を移動しながら暮らしている遊牧民サイーダと時々生活します。
水は、2時間くらい歩いた泉で飲み、パンは砂と炭で焼き、燃料は地面に落ちた枯木を拾ってくる。
朝起きたらお茶を飲んで放牧に出かけ、日が高くなったら休み、日が暮れたら寝る、単調な暮らし。
彼女と暮らして思ったのは、おそらく彼女は生まれてから一度も「幸せって何?」、「幸せになるにはどうしたらいいか?」と考えたことはないだろうこと。
だからといって、決して不幸ではない。毎日生きるのに一生懸命だから。
今、日本では、「幸せになるには?」のような本がたくさん出ています。
考えるのが好きな人、悩む人が好きな人がたくさんいるから。
でも考えれば考えるほど、幸せは遠ざかって行くように思います。
生活そのものが忙しく充実していれば、決して「幸せとは?」などと悩まないのです。
仕事より結婚・出産
エジプトなどイスラム圏を旅して現地の人と知り合うと、まず聞かれるのは「どこから来たの?」 「名前は?」ですが、その次は、たいてい「結婚しているの?」「子どもは?」です。
「仕事は何してる?」はめったに聞かれません。
日本だったら初対面の相手に「結婚してるのか?」「子供は?」とは聞きませんね。「仕事は?」は、ありますが。
最初は不思議に思いましたが、やがてわかりました。仕事より結婚・出産に重きをおいているからです。興味の対象が、仕事より結婚や子供にあるから。
でも私たちは、ただ生きることだけでは、満足できない。本来それほど重要ではない「生きる目的」や「生きる意義」を見つけようとし、それができないと不必要に落ち込んでしまう。
「生きているというだけで十分幸せ」。このことを、いつも忘れないようにしたい。
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