2016-10-26

モロッコ絨毯を輸入・販売する林亜矢子さん

林亜矢子遊牧民の絨毯を持つ林さん

林亜矢子さん(33歳)は、モロッコ屈指の観光地マラケシュにある日本人経営の宿でかつて働き、今はモロッコ絨毯の輸入・販売を手がけている。

林さんが運営するオンラインショップ「rugtan(ラグタン)」の絨毯は、黒と白のしましまのシンプルなデザインだ。砂漠に暮らす遊牧民が代々家で織っている。飼っているヒツジの毛で織られたその絨毯は、手で触るとゴワゴワしているが、まるでヒツジの体温が伝わってくるようにほのかに温かく、肌になじむ。

その遊牧民の家は、モロッコ南部のメルズーガ(サハラ砂漠の入口の村)から車で1時間ほどの砂漠の中にある。アルジェリア国境までは10キロメートルだ。辺りには数百メートルおきに、いくつかの遊牧民の家が点在している。

遊牧民女性は、家畜を放牧させたり料理を作ったりする合間に絨毯を織る。織機は砂漠に落ちていた枯木を組み立てたものだ。

「最初は、いびつな手作りの織機でよく織れるなあって驚きました。だから織り上げられた絨毯の形もまっすぐでははないんです。でもそれが味があって、いいんですよね」と林さんは笑う。

林さんはどのようにしてモロッコの砂漠に出会い、絨毯の輸入をするようになったのだろうか?

―生まれは、どちらですか?

「北海道の中標津町です。人口より牛の数が多い小さな町です。自然しかないような場所でした。父親は公務員、母親は専業主婦で、三人姉妹の末っ子として育ちました。
小学校の時から洋服が好きでした。母親が持っている洋服のカタログを、よく眺めていましたね。素敵なお店も何もない田舎に育ったので、まだ見たこともない都会的な景色に憧れるような気持ちだったと思います。

マラケシュ(1)

マラケシュのメディナ


中学の頃から東京に出たいと思っていました。高校を卒業して、東京にすぐに行きたかったのですが、両親に猛反対されました。姉が札幌に住んでいたので両親の安心する札幌の洋服デザイン専門学校に2年通いました。
そこを卒業後した後、やっぱり東京に出る夢は捨てきれませんでした。両親もさすがに『そんなに行きたいなら、しかたがない』と行かせてくれたんです。同級生で東京に出てくる人は、ほとんどいませんでした。私の場合、好奇心でしょうか。東京に住んでみたいという一心です。仕事も決めずに出て来てしまいました。とりあえず住んでみないとわからないと思って。こんな感じですから、友人にはよく破天荒だって言われていました」

―どうやって仕事を見つけたんですか?

マラケシュのメディナ(2)マラケシュのメディナ

「働いたのはアパレルメーカーのお店です。北海道にいた頃から、雑誌でそのメーカーの洋服を見て好きでした。上京したら見に行こうと思っていて、実際店に行くと店内もスタッフも格好良く、ここで働きたいと思いました。ちょうどスタッフを募集していて、応募したら採用されました」

―どんな仕事を?

「販売が主な仕事です。平日でもお客様が並び毎日すごいスピードで商品が売れていました。最初は都会のテンポについていけず苦労した事もありましたが、上司が温かい人だったので、長く続けることができました。お客さんが似合う服を選んで、気に入って購入していただいたときは、とても嬉しかったです」
仕事は忙しくてやりがいもあったのですが、勤めて数年くらいたった頃から、仕事に変化が欲しいなと思うようになりました」

【「何もなくて何でもある」砂漠に魅せられ】

やがて林さんは、7年勤めたアパレルメーカーを辞めた。その2ヶ月後に、以前から興味があったモロッコに旅行に出かけた。26歳の時だ。

林さんをモロッコに誘ったのは音楽だった。「ジャジューカ」という、モロッコ北部のリフ山脈の山間にある小さな村で代々伝わる音楽だ。チャルメラの音色のような笛と太鼓で奏でられ、同じフレーズを何度も反復する。

ジャジューカは、もともと地元の人だけが知る音楽だった。ところが1968年、イギリスのロックバンド「ローリングストーンズ」のメンバーの一人が村を訪れて音楽に魅せられ、村で録音した音楽を持ち帰った。それを元にしたレコードを売り出したところ、世界中でヒットし、ジャジューカが世界に知られることになった。

―ジャジューカに興味を持ったきっかけは何だったんですか?

「アパレルメーカーの店で働いていた時、音楽に詳しい方が周りに沢山いました。その影響でいろんな分野の音楽を聴くことができました。ジャージューカを知ったのは、その流れです。
初めてその音を聞いたとき、雷にうたれたみたいに衝撃的でした。ipodに入れて、毎日聴いていました。そしてモロッコに対して、一気に興味がわいたんです。


フナ広場の大道劇マラケシュ・フナ広場の大道芸


それまでに友人と韓国、香港、タイ、ニューヨークに行ったことがあります。モロッコも友人と行きました。でもいわゆるバックパッカー的な旅はしたことがなく、旅の荷物はいつもスーツケースに入れて行きます」

モロッコは、ほぼ中央に東西に横たわるアトラス山脈があり、それによって気候や風土が南北で二分される。有名な観光地マラケシュは、アトラス山脈の北、国のほぼ中央に位置する。11世紀にベルベル人(北アフリカからサハラ砂漠にかけての地域に住む先住民)による最初のイスラム王朝・ムラービト朝の都となり、その後もいくつかの王朝の都として、交易や文化の中心となって栄えた。当時からのメディナ(旧市街)は世界遺産に登録されている。メディナの中心・ジャマ・エル・フナ広場では、毎日夕方から屋台とあらゆる大道芸人が出て、それら目当ての大勢の旅行者や見物客が集まり、お祭り騒ぎとなる。

―モロッコの印象はどうでしたか?

「マラケシュの景色は紙芝居を見ているかのように、ロバが通ったと思ったらバイクが走り、ジュラバ(モロッコの民族衣装)を着た人が通ったりと、日本ではありえない光景がめまぐるしく変わる変化が面白かったです。それと砂漠に行く時にアトラス山脈を超えるんですけど、この景色もすごかった。4時間くらいぐるぐると曲がりくねった峠道を通って行くんです。私はふだんすぐ車酔いしてしまうんですけど、この時は感動が上回ってまったく平気でした。
旅行は全部で10日間でしたが、本当に時間が足りませんでした。もっとこの国のことを知りたい、絶対にまた来たいって思いました」

―もっとも気に入った場所は?


マラケシュ・フナ広場マラケシュ・フナ広場の食べ物屋台 

「砂漠です。遊牧民とラクダに乗って砂漠に行くツアーに参加しました。食事はその遊牧民が作ります。サラダの野菜を切る時は、まな板がないから手の中で野菜を切る。そういうのを見ていると、日本では必要だとばかり思っていたものが、実は必要ないんだなあってわかる。身体が一番大事な道具なんだなと、足るを知る事が出来る場所です。
夜は砂の上で毛布にくるまって寝ました。辺りは砂以外は何もなくて、360度地平線。上だけじゃなく、正面にも星空が見えるんです。星空のお椀をかぶったみたい。うちの田舎も砂漠と同じくらいきれいな夕陽が見えるんですけど、砂漠の星空には負けますね」

【マラケシュの宿House13で働く】

この最初のモロッコ旅行で、林さんは、後に働くことになる「House13」に泊まった。マラケシュで日本人女性が一人で始めた宿だ。マラケシュのメディナの中にある。フナ広場の周囲にあるスーク(市場)をぬけた庶民の住宅街の中だ。ガイドブックには紹介されておらず、多くの人は口コミで知ってやってくる。

「旅行に来る前から、モロッコで仕事をしている日本人に会いたいと思っていました。特に将来モロッコで働きたいと思っていたわけではなく、とても興味のある国だったので、その国で働いている日本人がいるのであれば、ぜひ会って見たいという気持ちでした。オーナーは一人で宿を切り盛りしていると知り、きっと体格がよくて、怖いオバサンが出てくるんだろうなと思っていたら、とてもきれいですごく女性らしい方で驚きました。
宿に一歩足を踏みいれたとたん、空間に魅了されました。その感動は、後に宿で接客するお客さまにもよく言われることでした。室内はすべてオーナーのデザインなんです。細部にまで手がかけられていて、こだわりが感じられて、夢のある場所。私の旅の気持ちをさらに盛り上げてくれるような宿でした。
でも宿にたどり着くまでが大変で。メディナは細い道がくねくねと迷路のように入り組んでいて、なかなかホテルの場所がわからず、途中モロッコ人に話しかけられたりして大変でした。『どうしてメディナの中にあるんだろう?』って最初は思いました。庶民の住宅街の中にあるので、近所の子どもがいたずらで玄関のベルを鳴らしたりといった、めんどくさいこともあるんですけど、それがメディナの生活感を味わえる醍醐味というか、良さでもあるんですよね。何日か滞在するうちに、メディナの空気を感じてもらいたいから、あえてこの場所に宿を設けたんだというオーナーの配慮が伝わってきました。
帰国後、オーナーから仕事を手伝わないかと連絡があったんです。そこで『ぜひ手伝わせてください!』と返事をしました」

―宿ではどんな仕事を?

「お客さまと旅行の計画を一緒に練ったり、朝食を用意したり、宿の仕事全般です。お客さまがスーク(市場)で買い物してきて、『これいくらで買ったけど、高かったかな』とか『どこの料理屋がおいしい?』など相談を受けたり。旅行のアドバイスなどをしていました。
入れ替わり立ち替わりお客さまが来るので、日本で働くのと同じくらい忙しかったです。建物のどこかが壊れて職人さんを頼んでも、時間通りに来なかったり、いきなり水がとまったり、停電したり……。お客さまが飛行機で帰国するのに合わせてタクシーを手配しておいたのに来ない。あわててタクシーが拾える場所まで走って、つかまえてきたり。日本みたいにスムーズに行かないことが多くて大変でした」



マラケシュのメディナのスークマラケシュ・メディナのスーク(撮影:常見藤代)

 

―ゲストは日本人が多いんですか?

「意外に女性の一人客が多かったです。はじめての海外旅行がモロッコという方も、けっこういました。『怖くないですか?』ってきくと、『来るまでは怖かったけど、いざ来てみたら、ぜんぜん大丈夫でした』って、多くの方が言います。当時はモロッコブームもあり、モロッコ雑貨がメディアで取り上げられていた時だったんです。なので女性も多かったですね。
女性ひとりで世界一周の旅の途中という方もたくさんいました。印象的なのは、旅慣れた世界一周中のお客さんより、会社員などで一週間の休みをとって来ているお客さまの方が行動的にみえたことです。外に出て色々吸収しようという意欲が強い。ある世界一周中の方に、近くに良い見どころがあるのでそこに行かないのか訪ねると、『カメラを前の国でなくしたから行かないんです』と言われました。写真が撮れないと旅ができない事に驚きました。当時はブログが流行りだした時だったので、誰かに見せるという目的で旅行している方も多かったのかもしれません。
でも、皆さんエネルギーがある人ばかりで、そういった人たちとの出会いは刺激的でおもしろかったです。」

―マラケシュの人はどうでしたか?

「暑い夏のラマダン中、水が飲めないから水浴びして気張らしするんです。そんな所を通りかかると、子どもたちが私に水をかけてくる。それを見ていたおじさんが飛び出してきて子どもを怒ってくれたり。子どもが悪いことをしたら、自分の子どもでなくても自分の子のように怒る。みんなが家族みたいな温かさがメディナにはあって、自分の田舎の様に居心地は良かったです。
ある日、とても悲しい出来事があって落ち込んで、暗い顔でスークを歩いていました。すると知り合いでもない商店街のおじさんが『スマイル!スマイル!』って声をかけてくれて。また少し歩くと、今度は別のおじさんが『スマイル!スマイル!』って。そのエネルギッシュなマラケシュに圧倒されて悲しい事も吹っ飛んでしまいました」

【rugtanをスタート】

林さんは House13での仕事を1年程できりあげ帰国した。最初から期間を決めていたからだった。その時には、すでにモロッコに関わる仕事がしたいと考えていた。そのひとつが砂漠旅行で出逢った遊牧民のお母さんが織る絨毯だ。

―絨毯を初めて見た印象は、どんな感じでしたか?

絨毯を折る遊牧民女性絨毯を織る遊牧民女性

「白い羊と黒い羊の毛で織られる染色なしのナチュラルな絨毯は、シンプルだけど独特でユニークでした。
遊牧民は砂漠でパンを焼いたら、保温のために絨毯でパンをくるむんです。布団をたたんで、その覆いに絨毯を使ったりする。何にでも使いまわす垣根のない感じも、興味深いと思いました。
お母さんは、家族で使うだけで、売るために織っているわけではありませんでした。でも白と黒のデザインはとてもシンプルで、日本のインテリアにも馴染むので漠然と販売してみようかなと思っていました。そこで宿の仕事を終えて帰国する前に、またお母さんに会って『日本で絨毯を売りたい』と話をしました」

―実際にどうやって仕事をスタートしたのですか?

「モロッコから帰ってきてからはしばらく北海道にいました。絨毯の販売はしたいと思っていましたが、どう進めていったらいいのかわかりませんでした。
そんな時に、House13で知り合った写真家の方が、『写真展をするから、会場で一緒に絨毯を展示しないか』と声をかけてくれたんです。2012年7月のことです。それで急いでモロッコに絨毯を買い付けに行きました。30枚ほどをスーツケースとリュックに入れて持ち帰りました。
展示が終わってから、オンラインショップrugtanのホームページを立ち上げました。デザインはHouse13で知り合った方にお願いしました。前々から私がなにかやるときは、絶対にこの方にデザインをお願いしようと決めていた方です。今まで3回くらいモロッコに買い付けに行っています。」

―絨毯を輸入して売る上で苦労することはありますか?

ラグタンが取り扱う絨毯ラグタンの絨毯

「絨毯に小さい小枝やゴミが入っていることがあります。モロッコはスリッパを家の中でも履いているので、そういったものも気になりませんが、日本は裸足で絨毯の上でくつろぐから、これでは困ります。小枝などをピンセットで一つ一つていねいに取っています。だからこの絨毯は、お母さんと私が時間をかけて愛情いっぱいで作っています。

砂漠の遊牧民って、簡単にものを捨てない。使い回しの達人ですよね。だから絨毯そのものや包装も、可愛らしくて長く残しておきたいなと思えるものにしたいなと思っているんです。」

林さんは今、オンラインショップで販売する他に、複数の店舗に絨毯を卸している。

「以前やっていた販売業の仕事が役立っていると思います。これからもっと絨毯を知られるきっかけ作りを行い、 卸先も増やしていきたいです。自分の店も持ちたいですね。そのお店で砂漠、遊牧民、モロッコのマラケシュの喧噪の世界感、そんなものを見せられたらいいなあと思っています。」

<今後の予定〜
「MAROC 遊牧民のラグとターバン展」を2015年1月に企画中。
詳しくはホームページでご確認ください。

林さんのオンラインショップrugtan
http://rugtan.com/  

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