長年エジプトの遊牧民を取材してきましたが、その仲でとても衝撃を受けたできごとがありました。
ある日、仲の良い中年夫婦と性の話になったときのこと。 「日本では妻が病気でセックスできなくて、夫がやりたい場合、どうなるの?」と奥さんに聞かれました。
私が「夫がガマンするか‥」と言いかけると、奥さん一言「それはハラーム(宗教で禁止された行為)よ」と言われたのです。
(え、宗教で性のことまで決めているの?)と、それはそれは驚きでした。
さらに彼女は続けます。
「男がまだ健康でセックスしたくても、我慢しなくてはいけないの!?」
そこで、またまたびっくり。男が言うなら、わかりますが。
宗教で「性」を扱う
断っておきますが、イスラム教徒が誰ともかまわず性の話をするわけではありません。あくまで「気心の知れた仲」だけです。
それにしても「性の話」が、宗教の領域に含まれることに、とても衝撃を受けました。
宗教は「俗」なことは扱わない、という勝手な思い込みがあったのです。
しかしイスラム教は俗なものもすべてひっくるめて宗教なのです。
というよりイスラムでは性も俗もない。人間が生きること全てを扱う、これがイスラム教です。
そして夫婦間で楽しむことを積極的に奨励しています。性欲は人間が持って生まれた自然な欲望。それをガマンするのは良くないと考えるのです。
だから聖典コーランには性の話が多く書かれています。たとえばラマダン月の断食中の性生活について。
ご存知のとおり、イスラム教徒はラマダン月の1ヶ月間、日の出ている間は断食しなければなりません。この間セックスも禁止です。
しかし「日が暮れたら、やってもいいよ」ともわざわざコーランに書いてある。
他にも「妻はあなたの耕地だから、好きなように耕しなさい」とある。「どんな体位でも自由だよ」という意味です。なんて親切なんでしょう。
イスラム教は日常生活すべてがテーマ
もちろんコーランに書かれているのは、性の話に限りません。それはごく一部です。多くは、神様のこと、天国や地獄のこと、断食や礼拝など儀礼的なことなどです。
とはいうものの、性的事柄が「聖典」に含まれるのは、新鮮な驚きでした。私の宗教への思い込みを見事に裏切ってくれたのです。
性だけではありません。コーランには人間生活のほとんど全てのことが書かれています。「挨拶は大きな声でしろ」とか、「両親にやさしくしろ」とか。
つまり「よりよく生きるためのマニュアル」なのです。イスラム教徒はそのマニュアルに従うように生きているのです。
性欲・金銭欲・食欲を認める
日本でイスラム教というと、1日5回の礼拝とか、ブタや酒はダメとか、断食しなければならないとか、そういう話ばかりです。
そしてこれだけ聞くと「イスラム教徒は厳しい戒律に縛られて生きているに違いない」と思ってしまいます。
実際、私もイスラム教の国々に足を運ぶまで、「イスラム教って、なんか厳しそうな宗教だな」と思っていました。
実際には人間には食欲・性欲・金銭欲があるのを認め、そういうのを罪悪視ないで、ちゃんと満たしなさいと教える現実的な宗教です。
ただし条件はあります。「性」なら、楽しむのは夫婦の間だけです。というわけで、婚前交渉禁止。
誰とでも自由にやりましょうとなれば問題が生じることもあります。女性が望まぬ妊娠をしてしまったり、不倫関係で悩み苦しんだり。
こういうのは古今東西で変わらないのでは?コーランが下された時代にも、きっとそんなゴタゴタで悩む人たちがいたのでしょう。そこで「性関係は夫婦だけ」と宗教で決めてしまったのです。
夫婦以外とできないというのは確かに不自由。が、変な誘惑に惑わされないぶん、これはこれで心安らかに暮らせるようです。