シンプルに生きるには「捨てる」よりもずっと大切なことがある。


「シンプルに生きる」というと、「物を捨てる」とイメージするかもしれません。

それより前に「自分が求めるものをはっきりさせる」ことが大事です。

ある日歩けなくなった

2008年にエジプトの砂漠で遊牧民女性と暮らしながら取材している時でした。
ある日突然足のしびれが起こり、それが日に日にひどくなり、とうとう歩くのもままならなくなってしまったのです。

やっとのことで空港までたどりつき、なんとか帰国。

それから1ヶ月実家の近くの大学病院で検査入院したのですが、MRIを撮ったところ、脊髄に影が。

脊髄の細胞を取って調べることはできませんから、その「影」が何なのかははっきりせず、具体的な病名はわかりませんでした。

そして医師から、こう告げられました。「脊髄ガンの可能性があります。その場合は将来歩けなくなるかもしれません」

ガーンです。

もう砂漠を歩きまわるのはムリなのか。
自分には車いす生活が待っている。。。。

思いかえせば、炎天下の砂漠を重たいカメラや何本かのレンズをかついで歩きまわっていた、その疲れが原因かもしれない。

こんなことは、もう無理だろうなあ。

落ち込む私に、見舞いに来た先輩の写真家が言いました。

これからは、身軽にラクに行けばいいんだ。俺は若いときカメラ4,5台持って仕事してたけど、今は1台に単焦点レンズ1本だけ。それで十分。もう撮るべきものがはっきり見えているから

その言葉を聞いた時、ハッと目が覚めるような思いがしました。

カメラ1台に単調点レンズ1本だけ。なんてシンプルで身軽なんだろう。

それまでの私は、レンズは単体よりズームの方がダンゼン良いと、頭から決めてかかっていました。一本で色んな画角の写真が撮れる。

それも、20~35ミリと45~180ミリの2本とか、より広範囲なズームがあればバラエティに富んだ写真が撮れる。

それにはカメラが2台以上いる。

特に海外に行った時、あれもこれも撮っておけば、後で何かに使えるかもしれない、などと貧乏根性が働いてしまいます。

それには色んなレンズがあった方が良いと考える。

が、決結局そうやって「とりあえず」撮った写真は、後で使われることはほとんどありません

仮に使えたとしても、焦点があいまいで、見る人に訴えかける力はありません。

自分は何を撮りたいか。それがはっきりしていれば、レンズは2本も3本も必要ないんです。

欲しいものは何?

これは人生すべてに言えることでしょう。

たとえばスーパーに買い物に行く時。「今日はカレーを作ろう」と決めてあれば、肉やニンジンなどの売り場に直行し、買い物時間は少なくてすむし、余計なものを買うこともありません。

何も決めていないで「とりあえずスーパーに行って考える」となると、あっちの売り場、こっちの売り場とウロチョロ目移りし、「これ、今日ちょっと安いな。買っておくか」なんて、つい買い物かごに放り込む。

そうやって買ったものは、けっこうな割合で冷蔵庫の中の死蔵品になってしまうもの。

求めるものをはっきりさせることで、物も時間も節約できる。

今の時代、やるよりやらない方が難しい
増やすより減らす方が難しい

でも時間は限られています。明日歩けなくなるかもしれないし、不慮の事故で明日死んでしまうかもしれない。

だから、まずは自分が何を求めて生きるかをはっきりさせる。これがシンプルに生きるコツです。

上に書いた私の病状は、ためしにステロイドの点滴治療をしたところ、足のしびれはおさまりました。幸いガンではなかったよう。心底ほっとしました。

人生で大切なことに気づかせてもらったあの経験は、きっと神様が与えてくれたプレゼントに違いありません。

(「私はいつも砂漠を自由に歩きまわりたいから、ラクダ1頭に積みきれる荷物しか持たない」と砂漠を移動しながら暮らすサイーダさん。

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