イランとアメリカはなぜ仲が悪いのか?

マシュハド郊外のバキルアバッド

アメリカが悪の枢軸と呼ぶイラン。

なぜアメリカはこれまでイランを敵対視するのでしょう?

イランとアメリカは、なぜ仲が悪いのでしょう?

それはイラン革命(1979年)が発端です。

イラン革命とは?

1979年2月に首都テヘランで起きた政治的変動のことです。

これによって親米の国王の支配が倒れ、反米の政権が誕生しました。

同年11月にはテヘランのアメリカ大使館がイラン人学生によって占拠され、大使館員が人質になりました。

この占拠は44日間続き、アメリカ人に深い反イラン感情を抱かせました。

なぜイラン革命が起きたのか? 

ではなぜ革命が起きたのか? アメリカ大使館を占拠したのか? 

そこに至る経緯を簡単にご紹介します。 

①イラン石油を欧米が支配

20世紀初頭にイランで石油が発見されました。

イギリスが真っ先にイラン原油の生産と販売を独占的に支配します。

これによってイギリスは膨大な利益をあげました。

イラン国民は当然これに不満をいだきます。

そして第2次大戦後、石油の富を公平に分配してほしいという運動が盛んになりました

そして1951年に就任したモサデク首相が、石油産業の国有化を断行。

欧米の石油会社は、国有化の動きが他の産油国にも広がってはいけないと、イラン産原油をボイコットします。

これによってイラン経済は窮地に追い込まれました。

アメリカやイギリスは参謀機関を使って1953年にイランにクーデターを起こさせ、モサデク政権を転覆させました。

そのクーデーターの実施本部だったのがアメリカ大使館です。

これによって、大使館は陰謀の巣窟だとの認識がイラン人の心理に深く刻み込まれました。

②親米の国王による強権支配

モサデク政権が倒れ、親米のシャー(国王)がイランを支配します。

時は冷戦時代。ソ連がペルシャ湾を支配しようと、イラクに影響力を強めていました。

ペルシャ湾は、ヨーロッパとインドを結ぶ通り道であるなどの理由で、地政学上、重要な位置を占めていたのです。

ソ連と敵対するアメリカは、イランとサウジアラビアの支援をするようになりました。

とはいってもサウジアラビアは人口が少なく国力が小さいため、実際にはイランが頼りです。

こうして当時のイランはアメリカの同盟国であり、アメリカの中東政策の要でした。

イラン政府はアメリカの後ろだてもあって西欧流の近代化政策を推進。

1970年代には急増した石油収入を背景に、驚異的な経済成長をとげます。

しかし同時に貧富の差が広がり、国民の不満が蓄積しました。

これに対してシャーはアメリカの支援によって育成された秘密警察を使い、民主化を求める国民の声を弾圧。

不満を抱くイラン国民が、シャーを倒した。

これがイラン革命です。

そして学生達がアメリカ大使館を占拠することになりますが、大使館が「陰謀の象徴」としてイラン人の心理に刻み込まれていたからです。

上に書いたように、モサデク政権を転覆させたクーデーターの実施本部がアメリカ大使館だったからです。

アメリカはイラン人の最高の憧れの国

こういった2国間関係があるものの、実はイラン人はアメリカが大好きです。

イラン人が最も行きたい国、移住したい国がアメリカです。

イラン人はよく親日と言われますが、日本よりアメリカの方がよっぽど好きなのです。

実際私が会ったイラン人の2人に1人はアメリカ永住ビザを申請したとか、ビザを取得したとか話していました。

私がその話に乗ってこないと、「日本人はアメリカに移住したいと思わないの?」と不思議そうに聞くので、驚いてしまいました。

イラン革命後は、100万人単位のイラン人がアメリカに亡命したそうです。

かつて日本にはたくさんのイラン人が来ましたが、その中には日本でアメリカのビザを申請するために来日した人も、実はかなりいたとか。

今も多くのイラン人がアメリカに暮らしています。

特にロサンゼルスが多く、ロスは「イランゼルス」とまで言われています。

アメリカ在住イラン人がつくるテレビ番組があり、イランでの人気番組になっています。

その画面に映るイラン人女性は肌や髪を露出し、まるで欧米の番組を見ているみたいに華やか。


(イラン女性はもともと目鼻立ちがはっきりしており、世界でも稀な美女が多いのです。)

こういうのを見て、ますますイラン人は彼の地に憧れを募らせるんだろうなあ。

悲しいかな今のところ片思いですが。

 

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