私がシリアを最後に訪れたのは2009年。たまたま4月でした。
現地で会った日本人に言われました。
「すごく良い時期に来ましたね。今はシリアが一番美しい季節ですよ」と。
まさにその通り。
町を少し離れると、美しい田園風景が広がっていました。
以前にも書きましたが、ハマという町の近くの村で、村長さんの家に呼ばれました。上がその村です。
村長さんは、突然の訪問者である外人の私に、食事やコーヒー、羊のミルクを振るまってくれた後、「この家に一ヶ月いたら、君もわしらの言葉がペラペラになるさ」とまで言い出す始末。
よそ者である私を、まるで家族のように温かく迎えるシリア人の優しさは衝撃的でした。
シリアの美しさは自然だけではなく、人の心もそうでした。
初めて訪れたのは、もう20年以上前。
町中で地図を広げていたら、たちまち人だかりができたのを、よく覚えています。
みんな口々に「どこに行きたいんだ?」と言い、「それはあっちだ」、「いや、こっちだ」と、私そっちのけで議論がはじまる。
旅人や困っている人を、ほっておけない人たちだったのでしょう。
日本のように発展はしていない、物質的には決して豊かではありません。
しかし家族や人々のつながりという意味では、とても豊かなものがありました。
あの人たちが、今どのように暮らしているのか。
なぜもっとシリアを訪れなかったのか、今はもう後悔してもしきれない。
「君もこの家に1ヶ月いれば」という村長さんの言葉は、社交辞令だったかもしれないけど、あの村に長期で滞在したら、どんなに素敵だったろうかと今ではかなわない夢を想像します。
そのうちに、と思っていました。
人生や物事に普遍ということはありません。
今平和や国や場所も、いつ訪れることができなくなるかもしれない。
だから会いたい人には今すぐに会い、行きたい場所には今すぐ行く。
そのことは忘れないようにしたいと思います。
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