アカの他人なら全く気にならないことでも、一緒に暮らしている家族だと妙にカチンときてしまう。そういうことって、ないでしょうか。
私の場合なら、夫に対して
「どうせ当たらないのに、なんで宝くじなんか買うんだろ?」
などと思ったり、
「朝起きてすぐにテレビつけるなんて・・・(本読むとかラジオ体操するとかすればいいのに)」
「寝る前に歯を磨くより、夕食の後すぐに磨けばいいのに。。。」
「スパゲッティには粒コショウかけた方が香りがいいのに、どうしてパウダー状のを使いたがるんだ??」
「休みの日にTVのバラエティばっかり見てないで、ちっとはビジネス書でも読んで、デキるサラリーマンになってよ!」
などなど。
ようするに、自分のやり方・考え方との違いに「?」と思い、イラっとくる。
その根底には「私こそ正しい」という思い込みがあるわけで。
そこで相手をかえようとするが、頑固だかトシのせいだかで相手も変わらない。
そこでまたイラッとくる、という繰り返し。
そんなとき。
ですが、この番組を見て、カンペキ心を入れ替えました。
「見えず 聞こえずとも ~夫婦ふたりの里山暮らし~」
京都の山間にある小さな集落に暮らす、60代の夫婦の話です。
妻の久代さんは、目が見えず、耳が聞こえない。
ふたりは互いの手を握りあい、その動きで手話を読み取る“触手話”で、心を通わせ合う。
美しい自然が残る里山で、田畑を耕し、自給自足に近い生活をしています。
一度見て最初から最後まで涙がとまらず、再放送を録画して今日も見ました。
視力も聴力もないのに、お茶目で快活な久代さんの笑顔に心を奪われました。
30代で一度離婚を経験し、その後視力を失った彼女は、2回自殺を試みたことがあったとか。
今こんなに明るいのは、きっとご主人の支えがあるから。
いくら家族とはいえど、ほんらい別の人間です。
まして目も見えず耳も聞こえない人・健常者は、見えている、感じている世界がまったく違う。
その違いを乗り越えて、こんなにもこころ通わせ、ささやかな幸せをかみしめている二人がいる。
自分と違うことにいら立ち、相手を変えようとするのは、自分の傲慢でしたね。
いっしょに歩む人がいることの素晴らしさ。
人生でとても大切で、でもついつい忘れがちなことを、思い出しました。
本も出版されています。[itemlink post_id=”35052″]
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