「アジ研ワールド・トレンド」遊牧民とラマダン

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(本文)

エジプトの東方砂漠に遊牧民のホシュマン族が暮らしている。八年以上続く旱魃のために遊牧生活が困難になり、ほとんどの人が砂漠の中の定住地で観光客相手の仕事に着くようになった。観光業で経済的に余裕ができたために生活の変化が幾つか生まれたが、その一つに複数の妻を持つ男性が増えたことがある。
 イスラム教の聖典コーランには、男性は四人まで妻を娶って良いと記されている。ただこれには条件があり、妻達を平等に扱わなければならないことになっているが、現実にはなかなか難しいようだ。
 氏族の長であるシェイク・ムサリム(75歳)には、オンム・ムライ(60歳)とオンム・ハーリッド(40歳)の二人の妻がいる。オンム・ムライと結婚したのは30年ほど前。オンム・ハーリッドとは八年前だ。ムライは砂漠の中の定住地に、ハーリッドはナイル川沿いの町メニアに住んでいるが、シェイクはふだんほとんどメニアでハーリッドと暮らし、ムライの住む定住地に来るのは、年二回のイスラムの祭りの時だけだ。その時はハーリッドを連れてくることが多く、二人の妻は一緒に料理したり食事をしたりと、一見仲つまじそうに見えるが、シェイクによれば、「二人が一緒に住むのは難しい」とのこと。
 オンム・ムライはいう。
「シェイクが他に奥さんもらうと言った時は、頭に来たわよ。でも”好きにしたら”って言ってやったさ。だって私に何ができるっていうんだい?」
 オンム・ハーリッドに、なぜ妻のいる男性と結婚したのかときくと、
「ちゃんと私に食べるものと着るものを持ってきてくれれば、そんなこと関係ないわ」と言う。
「シェイクはあなたよりずっと年上じゃない?」と私が言うと、
「でも彼との間に女の子をふたり産んだわ。年をとっている男はやさしくて良いのよ。シェイクはダハブ(金)が欲しいと言えば買ってくれるし、何でも欲しいものを持ってきてくれるの」と嬉しそうだ。
 ムハンマド・ムティールは、定住地で知り合った女性サイードと3年前に結婚した。先妻のタイガは砂漠に暮らしており、彼女を訪ねのはせいぜい二ヶ月に一回くらい。ほとんどの時間は定住地でサイードと暮らしている。
 サイードは「好きになった人に妻がいただけよ」とさらりと言う。
 彼女の母親のサイーダは、
「相手の男に妻子があっても、ちゃんと家にお金を入れてくれるならOKさ。年取った男は良い。若い男は他に女をつくったり、妻を殴ったりするけど、年とった男は人間ができていて、そんなことはないから」
 夫が他に妻を娶る場合、先妻がそれに反対することは難しいようだ。「男は妻におかまいなく結婚する」(先述のサイーダ)という。その場合、妻は離婚して実家に戻ることもできるが、そうするケースは少ない。一つには、離婚したら子どもは夫の元に残さなければならないという彼らの習慣があるからだ。子どもがかわいくて離婚しないという女性も少なくないようだ。
 それでは彼らの結婚は、女性に不利なことばかりなのだろうか? 
 ある遊牧民の男性は言う。
「日本で男が妻以外の女性を好きになったらどうするんだ?妻と離婚して一緒になるか、隠れてこっそりその女性と付き合ったりするんだろう。それよりは、二人とも自分の妻として認めた方がいいじゃないか」 女性にとっては、不倫という不安定な関係に置かれるより、他に妻がいても、きちんと妻として認めてもらえる方が良いかもしれない。また先妻にとっては離婚されるより、妻の座に止まって彼の経済的庇護を受ける方が良い場合も少なくないだろう。
 現地で会った日本人男性はこう語った。
「ここでは結婚前に男女が付き合ったりできないし、歓楽街などないから女遊びもできない。そう考えると、妻が二人というのは少ない方ではないか」
 一般的なエジプト人の男女間では、恋愛関係を経て結婚というケースも増えてきてはいるが、遊牧民の間では、まず結婚の約束をしてからでないと男女が会うことはできないし、またその上でも二人きりで会うことは容易ではない。しかしこれは裏を返せば、女性にとっては、付き合う上で必ず結婚が保証されているということであり、あながち悪いこととは言えない。
 ある遊牧民女性に言われたことがある。「日本では、男女が付き合って女性が妊娠し、その後で男が逃げてしまうこともあるんだろう?」と。彼らの場合、こういうことは滅多に起こらないからだ。
 もちろんお互いをよく知らないまま結婚することのデメリットもあるだろうし、結婚してから違ったというケースも少なくないだろう。
 だからこそ一夫多妻制が生きてくるのかもしれない。また彼らの間では離婚はそれほどタブー視されていない。
 前述のサイーダが私に語った言葉は印象的だった。彼女は娘のサイードとムハンマドの結婚について、「ムハンマドに妻がいることは知ってたさ。でも、好きになったら結婚すればいいのさ」と言った。また別の女性は、息子が二人目の妻を娶ったことについて、「好きなのに一緒にならないのはハラーム(宗教的に許されない行為)だもの」と言った。もし妻が原因で夫婦間の夜の生活が不可能になった時、夫がそれを我慢して他の妻を娶らないのはハラームだという意見も、他の女性から聞いた。
 イスラムに一夫多妻は、結婚しても他の異性を好きになってしまう人間の弱さを神が認め、それへの解決策を与えてくれたものなのではないかと、私には思える。