「クロスロード」エジプト 時間と物にしばられない遊牧民の暮らし

「クロスロード」エジプト時間と物にしばられない遊牧民の暮らし(1) 「クロスロード」エジプト時間と物にしばられない遊牧民の暮らし(2)「クロスロード」エジプト時間と物にしばられない遊牧民の暮らし(3) のコピー「クロスロード」2004年11月号

(本文)

ナイル川の東に広がる東方砂漠に、遊牧民ホシュマンが暮らしている。
97年から雨が降らないため、今でも遊牧を続けているのはわずか15~20家族。
そんな昔ながらの遊牧生活を続ける彼らの暮らしを紹介する。
(小見出し)自然の恵みを受けてくらす
 まだ夜空に星がまたたく頃、遊牧民の一日は始まる。枯木を炉にくべて火をおこし、パンを焼く。朝食はたいていパンと紅茶。ラクダを飼っていれば、ラクダのミルクが加わることもある。 朝食がすんだら家畜の放牧に出かける。一食分の小麦粉や野菜、調理用具などを持って行くのは、ちょっとしたピクニック気分だ。お昼前にその日の休憩場所を決めて荷をおろす。風よけのための石を周囲から拾ってきて炉をつくり、料理をし、お茶を入れる。夜は月明かりの下でパンを焼く。そして炎を囲んで家族や親戚、友人たちととりとめのない話をし、眠くなったらそのまま砂の上にごろんと横になる。テントはなく、寝るのは満天の星の下だ。
 電気も水もガスもなく、燃料は枯木やラクダの糞。水は泉から汲んでくる。自然に抱かれ、自然の恵みをいただきながら暮らす―それはおそらく数百年前とほとんど変わらない暮らしだ。
 
(小見出し)足るを知る幸せ 
 
 移動を常としているから、持ち物は必要最低限だ。小麦粉や水、調理用具、少しの着替えなど、たいていはラクダ1、2頭に積みきれてしまう。鍋は一家に2つぐらいしかなく、食事はいつもパンに料理一品だけ。肉は、年に2回のイスラムのお祭りや、たまに親戚が訪ねてきた時しか食べない。「肉はたまに食べるからおいしい」というのが彼らの口癖だ。
 電話もテレビもない。
「電話があったら、わざわざ出かけなくても声が聞けるから、人を訪ねたりしなくなってしまうだろう」
「テレビでやっているのは、戦争のニュースや泥棒のドラマばかり。そんなものを見て、時間をつぶされたくない」
という。 唯一の電化製品はラジオだが、そのラジオも、電池がもったいないと言って、持つのを嫌う人もいる。 時計もカレンダーもない。朝は明るくなったら起き、暗くなったら寝る。放牧先では暑い時間帯は日陰で休み、日が暮れたら帰る。スケジュールに追い立てられることもなく、時間はゆったりと過ぎていく
その文、動物を眺めたり、風を感じたり、昼寝をしたり、人生の本質について考えることができる。
(小見出し)砂漠生活の豊かさ
 家畜の世話をし、枯木を集め、パンを焼く―遊牧民の生活はこの3つが大半を占め、日々がその繰り返しだ。娯楽と呼ばれるものが何もない暮らしは、一見とても単調に見える。しかし彼らから「退屈だ。何かおもしろいことはないか」という言葉を聞いたことがない。たとえ親戚が町に住んでいても、砂漠に暮らす遊牧民は、あくまで砂漠の暮らしに固執する。
 砂漠の暮らしは豊かだ。朝のひきしまった空気の中で食べる焼きたてのパンや搾りたてのラクダのミルクのおいしさは、町のどんなに小ぎれいなレストランで食べる豪華な料理もかなわない。町で見る映画や絵画、様々な土産物は、それなりにきれいで美しい。しかしそれらは、砂漠で見上げる降るような満天の星や、夜の闇に浮かび上がる炎の美しさを目の前にすると、とたんに色あせてしまう。
 砂漠には時間に追い立てられずに好きな時に空や飛んでいく鳥を眺める時間があり、燃えさかる炎を見ながら、いつ終わるとも知れない話をする贅沢がある。家族とのつながりがあり、そして広大な砂漠を誰にも気兼ねせずに歩き回れる自由がある。
 色とりどりの物、服、食べ物、娯楽……一見華やかなもの、刺激的なことは、本質的には人生を豊かにしないことを、彼ら遊牧民は気づいているのかもしれない。
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