2020-08-30

ザカートとサダカ|イスラムの喜捨と助け合い

イスラム教徒には自分の収入のうち一定額を喜捨するという義務があります。「六信五行」という大切な義務あのうちの1つです。喜捨について、わかりやすくご紹介します。

イスラムの喜捨とは?

イスラムの喜捨には2種類あります。

義務の喜捨(ザカート
自発的な喜捨(サダカ

①ザカート

これは義務の喜捨です。1年間の収入のうち決まった割合を喜捨します。

ただ家族を食べさせるのがやっとという人に、この義務はありません。イスラムでは苦行を強いないからです。

②サダカ

自発的な施しです。路上にいる物乞いにお金を施したり、食事を提供したりすることです。

裕福な人がレストランにお金を渡し、店がそのお金で貧しい人へ食事を提供したりすることもあります。これはパキスタンなどで盛んです。

カラチには「バーンズセンター」という火傷専門の病院があり、入院費、食費、薬代などはすべて無料。市内には敬虔なビジネスマンが多く、それらの寄付でまかなわれています。これもサダカです。

イスラムの喜捨の特徴

イスラムの喜捨と、その他の喜捨は何が違うのでしょうか。

寄付とは違う

ザカートの本来の意味は「浄め」です。施しをすることで、自分の罪が浄められる。

その根底にあるのは「この世のすべての物は神のもの」という思想です。裕福な人は単に神から富を預かっているだけ。その中にはもともと貧しい人たちの権利が含まれている。それを喜捨によって返す、というわけです。この点が「寄付」と違います。

物乞いは相手を天国へ導く存在

施しを受けた側は肩身が狭い思いをしがちですが、この点イスラムの喜捨は違います。

喜捨をした側は、善行をなしたことになり、それによって天国へ一歩近づけることになります。実際コーランには「物乞いに施しをする人は天国へ入る」と何度も書かれています。

つまり受け取る側は、相手に「善行を与えるチャンス」を与えたということ。相手を「天国へ導く存在」であり、むしろ「感謝される側」。恥じる必要はありません。

実際、イスラム圏では物乞いは驚くほど堂々としていて、驚くことがあります。

エジプトでレストランで食事していると、少し小柄な男性(時には女性)がぶらりと入ってくることがあります。そして店主から食事を受け取って出ていく。物乞いですが、あまりにも態度が自然なので、テイクアウト客かと思っていまうくらいです。

物乞い例

それ以外にも、物乞いというのはイスラム圏で自然に行われている。一例をご紹介します。

①結婚式の家に現れた物乞い

他に私が体験したものでは、こんな事例があります。

友人の結婚式当日、その家に集まって昼食をごちそうになっていました。

そのとき1人の女性がふらりと入ってきて、食事の席についたんです。そして他の人と一緒に食事をし、お茶を飲んで帰って行きました。

私はてっきり親戚か誰かと思っていたら、後で家の人に聞くと「物乞いだ」とのこと。

彼女のふるまいがあまりにも自然で堂々としていたので衝撃を受けました。

結婚式は物乞いにとって稼ぎ時です。

花嫁の母は物乞いに施しするという善行によって、神が娘の結婚生活を幸せにしてくれるよう願うことでしょう。

そのため物乞いはどこかで結婚式があると聞くと、そこへ向かうのです。

ちなみにこの物乞い女性は、友人が住む町の隣に住んでおり、物乞いのためにしばしばミニバスに乗って友人の町にやってきていたとのこと。

こうなると完全にビジネスです。

②イランのホテルにて

「外出先からホテルに戻ると、ロビー横のレストランでチャドル姿の女性が食事をしていました。

従業員が女性を指差して、私に言いました。「この女性を助けてやってくれ」。

つまり「お金を渡してやってくれ」ということ。彼女は物乞いで、食事はホテルの「施し」だったのです。

従業員に言われたので、私はしかたなく少しお金を渡しましたが、当然お礼を言われるものと思っていたら、彼女は額に不服だったようでムッとしていました。

彼女はよくそのホテルに出入りし、お客から金銭を受け取っているそうです。

とにかくその女性の「もらって当然」の態度に、「貧しいことは恥ずべきことではない」と目からウロコが落ちました。

(「イスラム流幸せな生き方」)

社会にしみ渡る「助け合い」文化

喜捨が宗教的義務とされているイスラム社会では、人と人との「助け合い」精神が行き渡っているのを感じます。困った人が助けを求めやすく、求められた人は進んで助けることが習慣化している。

モロッコの友人の母親は、長らくガンを患っていました。向こうでは健康保険などありませんから、庶民にとってガンの治療費は高額です。そのため近所の人がお金を出し合い、その治療費の一部を負担していました。

サウジアラビアで

サウジアラビアのジェッダで、道に迷って通りかかった人に道案内をしてもらった時のことです。

向こうから男性が歩いてきました。彼は、私を案内してくれている男性に話かけます。すると案内人はポケットからお札を取り出して、その男性に渡したのです。

男性が「お金に困っている。恵んでくれないか」と言ったのでしょう。

驚くのは、お金を要求した男性が貧しそうに見えなかったことです。それ以前に、道ですれ違っただけの相手に「金くれ」と言える神経にも驚きましたし、言われてすぐさまお金を渡す行為にも本当にびっくりした。

エジプトで

エジプト。タクシーに乗ったら、運転手が悲しそうな顔で話し出します。「私の母が深刻な病気で入院しています。莫大な医療費がかかる。どうか助けてください」

医者の診断書のようなものを見せられました。初対面の相手にそのような要求ができることに驚きました。

与えてくれた物乞い

これは読売新聞カイロ支局長をしていた北村文夫さんのお話です。

当時住んでいたカイロの自宅近くに、路上生活者の男性が暮らしていたそうです。彼には両足がなく、車のついた台に乗って、いつもその路地を移動していました。北村さんは、通りがかりにいつも彼に30円ほどを与えていたそうです。

ところがある日、大きなお金しか持ち合わせがなかった。それで男性に「今日、私は貧乏だ(だから、与えられるお金はない)」といったそうです。

すると彼は胸に手を当て、「あなたにアッラーの思し召しがありますように」といい、北村さんに、タバコを3本くれたそうです。

自分が裕福でなくても、自分より貧しい人がいれば、当然のように与える。路上で生活するその男性は、「持てる者が持たざる者に与える」というイスラムの理念を、ごく当たり前に実践したのでした。

乞食とイスラーム
クウェートやサウジアラビアをはじめとするイスラム世界の物乞いについて書かれた本。出版時期はやや古いものの、歴史上の乞食たちから現代の乞食の王まで乞食の様々な姿からイスラムを読み解く非常に興味深い内容が詰まった本である。

★『イスラム流幸せな生き方

中学生でもわかるようにやさしく書いたイスラム入門書です。世界でなぜイスラム教徒が増え続けているかがわかります。これ1冊でイスラムのイメージが変わります。

イスラム教徒には自分の収入のうち一定額を喜捨するという義務があります。「六信五行」という大切な義務あのうちの1つです。喜捨について、わかりやすくご紹介します。

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