貧しくても引け目を感じないのはなぜ? イスラムでは物乞いは「感謝される」「社会になくてはならない」存在

「働かざるもの食うべからず」という言葉が日本にはあります。
「稼ぐ者が偉い」みたいな風潮も。

そういう社会では、働けない人、貧しい人は肩身をせまい思いをしがちです。
その点、イスラム圏ではずいぶん違います。

堂々としている物乞い

エジプトでの出来事です。友人の結婚式当日、昼食をごちそうになりました。親戚たちが彼女の家に集まっていたのですが、その時一人の女性がぶらりと入ってきたのです。

彼女は皆と談笑し、食事をし、お茶を飲んで帰って行ったのですが、後で家の人に聞くと、「物乞いだ」とのこと。

彼女のふるまいがあまりにも自然で堂々としていたので、私は衝撃を受けました。他人から施しをうけることについて、やましそうな様子が全くなかったからです。

貧しい人が食べるものを乞うのは、イスラムでは当然の権利。だからその女性も、お礼も言わずに去って行ったのです。

働かないで人からもらうことばかり期待して。。。などと日本人なら思うでしょう。

でも、努力してもどうにもならない人もいる。自分のせいでなく、どうしようもなく貧困状態に陥ってしまう人も。

それが責められるわけではなく、堂々といられるとしたら・・・この方が人が生きやすい社会だと言えるのではないでしょうか?

天国へ導く存在

物乞いは「人々にメリットをもたらす存在」とまで考えられています。
これは、どういうことか?

イスラムでは、善行をすれば、死後に天国へいけるチャンスが増えると考えられています。その善行の一つに「貧しい人を助ける」ことがある。

しかし周りに貧しい人がいなければ、その善行を実践することはできません。貧しい人がいて、誰かがその人に施しすれば、貧しい人は「善行するチャンスを与えたことになる。だから感謝される側なのです。

「乞食に金をめぐむものは天国に入ることができ、反対に乞食を邪険にあつかうと、地獄におちてしまうということなのだ。乞食にとってまったくもって都合のいいことばではないか。(途中略)もし、乞食がいなくなったら、一般の信者たちは、かれらにめぐみをあたえられなくなるのだから、天国にはいるための手段を一つ失うことになる。一般の信者たちを天国へおくるためにも、乞食は存在していなくてはならない。」(「乞食とイスラーム」)

イスラム圏では物乞いは自らをまったく恥じる必要はないのです。

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