イン・シャー・アッラー:決めるのは神
六信五行の1つである「定命」。その内容を詳しくご紹介します。
定命とは?
「定命」とは「この世の物事は全て神によって創られ、予定される」という意味です。未来を決めるのも神です。
「アッラーは天と地のはじまりです。かれ(神)が万事を定めるとき、有れといえば即ち有るのです。」(2章117節)
「我々にふりかかって来るものは、すべてアッラーが特に定め給うたものばかり。‥されば信者たるものはみなアッラーにこそ一切をお委せ申すべきだ」(9章5節)
そもそもイスラム(「イスラーム」)は、「神にすべてを委ねる」という意味です。神は全知全能で、この世の全てを決めるのは神。人間はそれに全面的に従う。これがイスラムの基本です。
(参考:イスラム教とはどんな宗教?を簡単にわかりやすく解説【初心者向け】)
インシャー・アッラーとは?
この「定命」に関係してよく使われるのが、アラビア語の「インシャー・アッラー」です。意味は「神が望えば」。
未来を決めるのも神。だから未来のことを言う時、必ず「インシャー・アッラー」を付け加えるのが決まりです。
「インシャー・アッラーという言葉を付け加えないで、明日それをすると言ってならない」(18:23・24節)
アラブの国でタクシーに乗り、目的地を告げると、運転手は必ず「インシャー・アッラー」と言います。「神が望めば〜へ着くだろう」と言うのですから、「なんとも頼りない」と最初は思っていました。
もし着けなかったら神のせいなのか?遅刻しても「神がそう望んだから」といえばすむ。それは責任逃れじゃないかと。
しかし実際、突発的な事故が起きたり、車が故障したりして目的地に着けないことはよく起こります。パキスタン北部を旅していた時、乗り合いタクシーに乗ったら、途中で下ろされてしまいました。連日の雨で川が氾濫し、道が壊されてしまったのです。
インシャー・アッラーと人の自由意志
未来は全て神が決めること。では人間の自由意志はどうなるのか?失敗しても、それは全て神のせいにすればいいのか?人間は努力しなくてもいい?
インシャー・アッラーは「出来ることはする、それでも不可能なことがある」という意味です。
人間の奢りを戒める教えなのです。
インシャー・アッラーで生きるのが楽に
自分を過度に責めない
この「全ての物事は神が決めること、成功も失敗も神の仕業」という思想は、人の救いにもなります。
何かに失敗しても「神がそう望まれたから」と思えるからです。病気になっても、「これもアッラーのおぼしめしだ」と考えられる。自分を必要以上に責めなくてすみます。
ムスリムは何かに失敗した時でも神のせいにする。試験に落ちた、リストラにあった‥‥日本人なら「努力が足りなかった」と自分を責めるけれど、ムスリムは「神様が望んだこと」でおわり。
何かつらいことがあれば、神のせいにする。必要以上に自分を責めない。イスラム圏は自殺が少ないと言われるが、きっとこれも関係しているだろう。
悲しみをやわらげる知恵
身近な人が亡くなった時、ムスリムは「神様の思し召しで天国へ行った」と言います。そうやって死を受け入れるのです。
悲しいことには変わりがありません。大切な人がいなくなるのは、とてつもない空虚感です。
しかしイスラム教徒は来世を信じているから、「自分が天国へ行った時、再会できる」と思える。死は永遠の別れではなくなります。
神頼みの生き方
長生きするか、病気になるかも全て神が決めることです。そうであれば、「なぜ病気になったんだろう」と悩まずにすみます。
もちろん健康に配慮することも大切です。しかしそれでも病気になる時はなる。
健康に執着しすぎると不幸になります。ほどほどに健やかに生きられるよう気を付け、あとは神に任せる。こういう気持ちの方が楽です。
世界中でムスリム人口が増えているのは、きっと「この宗教といっしょに生きていれば楽になる」と思うからでしょう。
神のせいにするのは都合の良い考え方だと感じられるかもしれません。しかしそこには、生きる上で誰もが直面する悲しみや苦しみを少しでも和らげようとする「人の知恵」があるように思います。
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