2014-02-22

『棄国子女』*ヤマノミ族はなぜ幸せなのか?

棄国子女。著者(女性)が日本で心を病み、再生をかけて南米に旅に出て、2年以上南米大陸を放浪した記録が書いてあります。

満ち足りた中の不幸

中南米には、生活に困ってゲリラになる男性、娼婦になる女性がたくさんいる。なのに自分が幸せであると感じている人が日本よりもはるかに多いという。彼らにとっては「今生きている」それだけで、すでにありがたいことだから。

しかし日本では、生きているなんて当たり前。「ありがたい」と感じる感覚すら、ないようです。十分に満ち足りているために、ヒマをもてあまして不幸になってしまう人が多い。

衣食住がたりてできたヒマに教育を受けた頭で、もう十分に幸福なはずなのにわざわざ絶望する。本当は絶望なんかどこにもない。それは思考する余裕が作りだした幻影にすぎないのだ。日本という先進国に蔓延する贅沢な不幸なのである。

ヤマノミ族に心を病む人がいない理由

彼らはジャングルで狩りをし、村の皆がおなかいっぱいになるだけの食糧が調達できたら、その日の仕事は終わり。あとは、昼寝したり、友人たちと談笑したりしてすごす。
毎日その繰り返しです。

こんな暮らしなら「誰も精神を病んだりはしないのではないか」と著者は書いています。ただ生きていることだけで、満足しているから。

食べること。生殖すること。生きるということはたたったそれだけなのだ。・・(途中略)・・・たくさん子どもを生み育て、毎日家族と仲間をおなかいっぱいにすることだけを考えて生きて行ければ、どれだけ幸せなことだろう

幸せとは?を考えない

私はエジプトの一人で砂漠を移動しながら暮らしている遊牧民サイーダと時々生活します。水は、2時間くらい歩いた泉で飲み、パンは砂と炭で焼き、燃料は地面に落ちた枯木を拾ってくる。朝起きたらお茶を飲んで放牧に出かけ、日が高くなったら休み、日が暮れたら寝る、単調な暮らし。

彼女と暮らして思ったのは、おそらく彼女は生まれてから一度も「幸せって何?」、「幸せになるにはどうしたらいいか?」と考えたことはないだろうこと。だからといって、決して不幸ではない。毎日生きるのに一生懸命だから。

「幸せになるには?」のような本がたくさん出ている。しかし幸せは考えれば考えるほど遠ざかって行くように思います。生活そのものが忙しく充実していれば、決して「幸せとは?」などと悩まないからです。

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