なぜノマドを取材するのか


2003年からエジプトの砂漠で一人で暮らす遊牧民女性サイーダを取材しています。毎年1,2回エジプトへ行き、数日~1週間砂漠で一緒に生活します。
女ノマド

彼女が暮らすのは、エジプトのナイル川東にある東方砂漠です。

夏の日中は45℃近くなり、冬は雪が降ることもある場所。ここに彼女たち「ホシュマン族」が暮らしています。

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出会い

私はOL生活の後、アジア・アフリカを放浪しました。当時フォトジャーナリストになるのが夢で、写真のテーマを探そうと思ったからです。

旅の過程でイスラムに興味を持ち、旅をやめてエジプトでアラビア語を学び、そしてイスラム圏をテーマに取材を始めました。

イスラム圏がフィールドに決まったものの、かといって自分が心から打ち込めるテーマがなかなか見つかりませんでした。そんな時、エジプトの遊牧民について書かれた本を見つけたのです。

以前から遊牧民には興味がありました。きっかけは高校生の時に見た1冊の写真集です。アフガニスタンの遊牧民が、家財道具一式をラクダにつみ、ゆうゆうと移動していく写真が載っていました。

ラクダの乗っていたのは女性で、その凛とした姿がずっと私の脳裏にやきついていました。

著者のアメリカ人にメールを送り、「自分も彼らに会いたい」と書いたところ、一時間後に返事が。そこには、部族長の名前が書かれてありました。

部族長に「今でも遊牧している人に会いたい」と言ったところ、紹介されたのがサイーダでした。
25825589_32706右が部族長。

ラクダ7頭と一人で砂漠に暮らす

サイーダはラクダ1頭に積みきれるだけの荷物を持ち、砂漠を移動しながら暮らしています。

女ひとりで、大きなラクダ7頭をつけて、不毛の砂漠に暮らす。その事実に衝撃をうけました。
「いったいどうやって暮らしているのか?」好奇心が抑えきれず、取材がスタートしました。

684_8125843116才で結婚し、これまで9人の子どもを産み育てたサイーダは、たくましく茶目っ気あふれる女性。

「次々に子どもが生まれちゃってさ。そのたびに、おっぱいチュチュチューって吸われて、栄養吸い取られちゃったから、この通り、歯がボロボロさ」。

きれいに抜け落ちた前歯を見せて大声で笑う。そんなエネルギーと個性あふれる人間性にもひかれました。

「イスラム女性=抑圧」という先入観を打破

イスラム教徒の女性というと、ベールをかぶらされ、抑圧された暮らしをしているとイメージしている方が多いと思います。

しかし、必ずしもそうではない。そういったことを伝えたいと思っています。

生きる誇り

彼女が自分の生き方に自信と誇りを持っていることにも、強く惹きつけられました。

砂漠で生まれて砂漠で暮らしてきた彼女は、読み書きができない。しかし、その発する一言一言は、経験から来る重みと含蓄にあふれています。

「昔はラジオの言葉は美しかった。今は戦争の話ばかり」
「私はいつも食べる物が少なくて動き回っているから健康なんだ」
「昔は電話がなかったから、お互いよく訪ね合った。今は隣にすんでいても、電話ですむから訪ねない。携帯電話で話すようになって、人と人のつながりが弱くなった」

・・・本も読んだ事がない。すべて自分の体験から出てくる言葉です。

そして何度砂漠に行って彼女と暮らしても、毎回発見があり、学ぶことがある。それが、今でも取材を続けている理由です。

消えゆく文化

今はほとんどの人が遊牧生活を捨て、定住地で観光客相手の仕事をしています。97年以来干魃が続き、家畜が食べる草が育たないためです。

今でも遊牧生活を続けているのはサイーダ一人。彼女の夫や息子たちは定住地に暮らしています。彼女は「最後の遊牧民」なのです。

彼女たち遊牧民は、自然と密接に暮らす中で培った知恵を持っています。動物や人間の足跡を見分けたり、砂漠に生える薬草で病気を治したり。

そんな地球上から消えようとしている暮らしを記録しておきたいと思っています。
ノマドの暮らし

砂漠で知った「祈り」の意味

「町ではやることがたくさんありすぎて、静かに祈る時間がない」と彼女は言います。

それまでエジプトに暮らし、イスラム圏を旅していた私は、イスラム教の教義について「一日五回の礼拝をする」、「一年のうち一ヶ月間断食する」など、頭では知っていても、宗教が人にとってどういう意味を持つのか、本当にはわかっていなかったと思います。

やがて砂と土と空以外に何もない空間が広がる砂漠に来て、日々「食べる寝る起きる」ことだけをくり返す単調な日常に身を置き、祈りと生が直結した暮らしの中で過ごすうちに、祈るという行為が人の心の支えになっていることに気づきました。

砂漠の遊牧民

ラクダの放牧中に礼拝の時刻が来たために、礼拝をする遊牧民女性。

砂漠の民をはじめイスラムを信じる人びとは、物事すべては神のしわざと考えます。自分が物事を決めるのは傲慢だと考える。

宗教とは無縁の環境で生きてきた自分にとって、最初は相容れない考えでしたが、やがて「こうしなけければならない」という人の意志や予定でガチガチになった生き方よりも、すべて神さまにゆだねてしまうという、ゆったりとした生き方も、心地よいものだと思えるようになっていきました。

砂漠では、生きる上で大切なことは、自分が在ることを神さまに感謝すること。加えて、食べること、寝ること、移動すること。それ以上に大切なことはない。

仕事での成功を追い求めたり、効率的であろうと神経を使ったり……そんなことは、大いなる神さまよりもずっと小さい人間が作り上げた、ちっぽけな事にすぎないのです。

人の一生はもともと、とてもシンプルなものです。生まれて生きて、誰かと会って子どもを産み、やがて死んでいく。それだけでじゅうぶん幸せなはずなのに、「何かもっと有意義なもの」を追い求め、それが手に入れられないと苦しみ憂鬱になるのが、私を含めて多くの日本人の気持ちではないでしょうか?

ただ生きていればいい。幸せとは、ただ今在ること。それを神様に感謝すること。

砂漠は私にそんなことを教えてくれたように思います。

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