「がんばる」のをやめたら、自然に「自分の生きる道」が見えてくる。

写真展を開いたり本を出版すと、必ず「がんばってますね!」といわれます。ありがたいことですが、この言葉にすごく違和感を感じます。
私の中では「がんばっている」意識が全くないからです。

イスラム圏に行って写真を撮ったり、その体験を書くのは、好きだから「自然に」続けてきただけです。
私は怠け者で根性もないので、がんばらなければ続けられないことだったら、きっと続けてこれなかったでしょう。

その証拠に、今までにやめてしまったことがたくさんあります。

大学を出て会社員になったものの、会社の迷惑になるほど会社員不適合者だったので、3年でやめてしまいました。

その後フォトジャーナリストを志し、まずはパレスチナでニュース性の高い写真を撮ろうとしたものの、間抜けで決定的瞬間についていけない性分だから、それも続けられなかった。。。。

現地の暮らしを取材するようになり、これなら瞬発力もいらないので、私でもなんとか続けられているのです。

がんばらなければ、自然に自分が生きるべき道が見えてくるもの。

私たちは普段何気なく、「がんばって!」と他人に声をかけますが、「がんばるのが素晴らしい」とかいう価値観そのものが間違っていると思います。

これまで中東の国々で、がんばらずに優雅に生きている人をたくさん見てきました。

エジプトのカフェ

エジプトのカフェで昼間からくつろぐ男性

 

アラブ圏には昼間からカフェでぼうっとしている男性がたくさんいます。
店のオーナーだったり、隠居していたり、失業者だったり様々でしょうが、それで生きていけるなら素晴らしいこと。

働いて生きるのは良いことですが、働かないで生きていけるのは、もっともっと素晴らしい!

「東南アジアなどには昼間からかけ事したりしている男がいるが、怠けていても経済的にはゆるされて他人の迷惑になるのでなければ、全くかまわない。遊んでいるだけで一生暮らしていける人がいるなら、それもまたけっこう。「自分のアイデンティティが認められるのは仕事を通してだけ」というのは、かえってかわいそう。」(『ナマケモノに意義がある』(池田清彦)

とはいうものの、私もつい誰かに「がんばって!」と言ってしまいがち。便利な言葉だからですが、これからはせめて「無理しないでね」と声をかけたいものです。

 

ナマケモノに意義がある』(池田清彦)

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